豆知識

大神神社はいつからあるのか〜起源について〜

 

 

前回、大神神社の参拝レポートを記事にした際

「日本最古の神社というけれど、具体的にいつから三輪山に大物主が祀られるようになったのか」

という質問をいただきました!!!

 

こちらの記事にて考察を書かせていただきます。

 

もし、大神神社の参拝レポートを見ていないという方がいらっしゃいましたら、ぜひこちらもご覧ください。

「大神神社」ここが日本最古の神社だーー。

 

大神神社が日本最古の神社の一つと言われる理由は?

大神神社がこのように言われるようになった理由は

 

 

古事記、日本書記にも名前が挙がる三輪山を御神体としているから

本殿を持たず、拝殿の後ろにある三輪鳥居を通して御神体を拝むといった元始の神道の形を今でも残しているから

 

 

 

でしょう。

 

スポンサーリンク

PC

 

三輪山に大物主神が祀られ始めたのはいつ?

で、結局三輪山に大物主神が祀られ始めたのはいつなんだ???

 

今から説明するから焦らないで!!笑

 

 

結論から申し上げますと

三輪山に大物主神が祀られ始めた時期は…

 

 

 

 

わかりません。

 

 

 

 

「いや、なんと無責任な」といわれるかもしれませんが、そうなのです。

 

 

古事記や日本書紀に書いてある年号だと

「○○天皇×年」という表記が多いです。

しかし、この表記は歴史書ごとにバラバラです。

 

さらに天皇の崩御の年齢も曖昧ですし、いくら天皇でも当時の人間が100歳以上まで生きていたとは考えられません(今の医療でも100歳は厳しいのに笑)

 

 

現在の1年は当時の2年に相当するとか、天皇が天皇たる理由を示すためにわざと大きく書いているかとか いろいろ言われますが今回は置いておきましょう。

 

 

また西暦という概念が生まれたのが6世紀のローマみたいですし、東アジアで用いられるようになったのは19,20世紀のことですから、当時の年号を古代の日本に当てはめることは非常に困難でしょう。

 

 

 

 

 

ということで、具体的な年号がわからないということについては うっすらでいいので理解していただけたでしょうか?

 

 

 

 

では、大体どのくらいの時期に大物主大神は三輪山に祀られ始めたのでしょうか。おおまかな年代を考察していきます。

 

 

まず、古事記、日本書記で初めて大物主大神が登場したシーンを紹介します。

 

一緒に国造りをしていた少彦名神が常世の国に渡ってしまってから、大国主神は途方に暮れていました。

すると、海の方から光り輝く神が現れ、「私を大和の東の山に祀りなさい。そうしなければ国は治まらないでしょう」と言いました。

大国主神が言われた通りにすると、見事国が治まったのでした。

 

日本書紀では「大物主神の正体は大国主神の幸魂,奇魂」と記述されているなど古事記、日本書記で詳細部分が書かれている書かれていないなどの違いはありますが、大体はこんな感じです。

 

 

 

次に、大物主神が大和に祀られていることが分かるシーンを紹介します。

 

活玉依毘売の寝室に夜だけ訪れる男がおり、その男と活玉依毘売は恋に落ち妊娠しました。

活玉依毘売はなんとか男の正体を知りたいと考え、こっそり糸巻を通した針を訪れた男の服の裾に刺し、後を追うという方法を考えました。

糸をたどっていくとそれは三輪山につながっており、お腹の子が大神神社のご祭神である大物主神の子であると知ったのです。

 

この話は大体 崇神天皇の御代の話として記述されており、この時に糸巻に糸が3周残っていたことから三輪と名付けられました

 


ちなみにPRではありますが、

上記の黄色で囲まれている部分の説明が分かりやすかった とか 神話について知ってみたいと思った方は『”超”現代語訳 古事記』をご覧ください。(新しいタブが開きます)

 

 

 

ちゃっかり宣伝を挟んだところで考察に戻りますが、

 

一つ目に挙げたシーンで大物主神が大和の山(のちに言う三輪山)に鎮まり

二つ目に挙げたシーンで大物主神が ”とある年代”に祀られていたこと

 

が分かるわけです。

 

 

ここで一つ目のシーンの年代が詳しく分かればいいわけですが、この話は神がこの世を治めるときの話であり年代を断定するのは難しいです。

 

 

 

では、仕方ないので2つ目のシーンから

 

「この時代には三輪山に大物主神は祀られていましたよ」

と考えるしかないわけです。

 

 

と言っても、最初に話したように古代の和暦と西暦をマッチさせるのは非常に困難なわけですが…

でもまあ、崇神天皇の時代くらいなら なんとか遡れるでしょう。(そう言い聞かせてください笑)

 

 

 

崇神天皇は10代目の天皇とされています。

 

ここでショッキング(?)な話をすると第15代応神天皇までは実在の天皇かどうかわかっていません。

(これに対し、初代神武天皇から実在した説、第26代継体天皇から実在した説など諸説ありますが、一応第15代応神天皇以降から実在した説が有力です)

 

 

そこで、有力説に則り応神天皇実在説で話を進めます。

  • 応神天皇の御陵である誉田御廟山古墳は5世紀前半に造られたとされていること
  • 中国の歴史書『宋書』にある 倭の五王の候補とされていること

 

これらを考慮すると応神天皇は4世紀後半に天皇の地位にあったのではないかと考えられます

 

 

そこから5代遡ったら300年ごろが崇神天皇の時代だと考えられるのではないでしょうか。

 

 

したがって、

300年ごろに三輪山に大物主神は祀られていたであろう

というのが私なりに導き出した答えです。

それ以上は深堀できません。

 

スポンサーリンク

PC

 

創祀と創建と建立の違い

 

ちなみに、

創祀というのは神が祀られ始めたという意味で

 

創建とは、一般に神社と呼ぶことができるための社殿等が造営されることで

建立とは、もとからある神社仏閣に加えて造営された という意味を持ちます。

 

 

大神神社の考察の例では

創祀は西暦300年より前のいつか 

創建は鎌倉時代

という文献が残っているようです。

 

 

PC

ブログ村

-豆知識

Copyright© 神社のハナシ , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.