ここまでのあらすじ


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神武天皇の皇后探し
戦いを終えた神武天皇はこんなことを思います。

ということで、皇后探しをスタート!!!
候補を探していると、1人 皇后になるのにふさわしい血筋の娘が見つかりました。
その娘,名を富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)またの名を比売多多良伊須気余理比売と言います。
何故この娘が皇后にピッタリかというと、、、
_____ここから回想シーン__
比売多多良伊須気余理比売の母、勢夜陀多良比売が川で用を足していると、上流から流れてきた赤い矢が女性器を突いたのです。
慌てた勢夜陀多良比売は大慌てで家に帰り、赤い矢を抜くと 矢は大物主神に姿を変え、二人は結婚することになりました。
その間に生まれたのが比売多多良伊須気余理比売です。
________________
ということは、まさしく比売多多良伊須気余理比売は神の子。
最高の血筋なのです。

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7人組で歩いている女性の元へ行き、この中にいる比売多多良伊須気余理比売に声をかけようと試みます。
このとき、神武帝はどの女性が比売多多良伊須気余理比売か知らされていませんでしたが…

神武天皇は見事、最前に立つ女性 比売多多良伊須気余理比売に声をかけることに成功し、
二人は結婚することになりました。
そして二人の間に生まれたのが、日子八井命と神八井耳命、神沼河耳命です。
その後、神武帝は137歳で崩御されました。
メモ
当芸志美々命の企て
神武天皇の死後、良からぬ企てを実行しようとする者がいました。
神武帝の側室であった阿比良比売の子、当芸志美々命はなんと父の正妻である比売多多良伊須気余理比売に求婚するのです。
はじめは断っていていた比売多多良伊須気余理比売でしたが、結局は根負けし結婚することになってしまいました。
当芸志美々命に秘めたる野望に満ち溢れていますから、ひそかに天皇の地位を奪い取ることを考えているのです。
そこに待ったをかけたのは神武帝と比売多多良伊須気余理比売の間に生まれた三兄弟です。
彼らは先手を打って当芸志美々命を殺害することを計画しました。
長男の日子八井命が当芸志美々命を殺す段取りを立て、殺害の計画日を迎えました。
しかし、殺害の機会が訪れても、日子八井命はいざ本番になると体が動きません。
恐怖でブルブルと震えています。
これを見た勇敢な末っ子の神沼河耳命が飛び出し兄の代わりに当芸志美々命を殺すことに成功したのでした!!!
これにより、末っ子である神沼河耳命が第二代綏靖天皇として即位しました。
そして、綏靖天皇は葛城の高岡宮(奈良県桜井市)で天下を治めた後、
45歳で崩御された後は神武天皇の御陵のすぐ北につくられました。
その後、
第三代 安寧天皇(あんねいてんのう)
第四代 懿徳天皇(いとくてんのう)
第五代 孝昭天皇(こうしょうてんのう)
第六代 孝安天皇(こうあんてんのう)
第七代 孝霊天皇(こうれいてんのう)
第八代 孝元天皇(こうげんてんのう)
第九代 開化天皇(かいかてんのう)
が天下を治めました。
メモ
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崇神天皇と疫病
さて第十代 崇神天皇の治世に疫病が流行しました。

神床に入って待っていると、
大物主神が現れ、
「疫病が流行しているのは私の意志によるものだ。大田田根子という人物を私が鎮まる山の神主として祀らせよ。そうすれば疫病が収まり平安が訪れるだろう。」
と言いました。

そして決死の捜索の末、河内の美努(みの)の村(現在の大阪府八尾市上之島)で大田田根子を見つけ、神主としました。
大田田根子はどのような人物かというと…
活玉依毘売の寝室に夜だけ訪れる男がおり、その男と活玉依毘売は恋に落ち妊娠しました。
この時活玉依毘売のお腹に宿ったのが 大田田根子なのです。
活玉依毘売はなんとか男の正体を知りたいと考え、床に赤土を敷き、その中に糸巻を通した針を忍ばせ、訪れた男の服の裾に刺し、後を追うという方法をとりました。
糸をたどっていくとそれは三輪山につながっており、お腹の子が大神神社のご祭神である大物主神の子であると知ったのです。
メモ
現在、大神神社の若宮社では大田田根子が御祭神として祀られています。
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