‘‘超‘‘現代語訳 古事記

古事記って面白い ”超”現代語訳 vol.11

 

こま君
前回は垂仁天皇は沙本毘売さおびめの遺言通りに氷羽州比売命ひばすひめのみことらと結婚したんだよね!!

 

そうだね!今日は景行天皇とヤマトタケルのお話をするよ!! まだ前回以降を読んでいない人は、下のボタンから読んでみてね!!
たむ

 

 

ボタン

 

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景行天皇と小碓命

景行天皇は何人かの后との間に、

大碓命おおうすのみこと小碓命おうすのみことの双子を含め80人の子を作りました。

 

ある日、景行天皇は三野の国(岐阜県)に兄比売えひめ弟比売おとひめという美しい姉妹がいるとの噂を聞き、ぜひ妻にしようと大碓命おおうすのみことを派遣し、連れてくるように命じました。

 

しかし、実際に連れてきた女性は、まあ美人っちゃ美人だけど、、、

景行天皇は

「うーん、なんだかな~。ものすごい美人と聞いていたからな~」

と言いました。

 

そして結局、姉妹のどちらとも結婚することはありませんでした。

 

 

なんで美人のはずの姉妹に、天皇が満足しなかったのか

それはなんと、姉妹に惚れた大碓命がこの姉妹と結婚してしまい、代わりに別の姉妹を調達して天皇に差し出したからなのです。


ある時、天皇は小碓命にこう相談しました。
「最近、大碓命が朝夕の大御饌(おおみけ)に姿を現さないのはなぜだろう。」

メモ

大御饌とは天皇と食事をするという宮中でも大事な儀式の一つであり、これに出席しないというのはたいへん不思議なことです。
おそらく姉妹を横取りしたことを父である景行天皇に、後ろめたいと感じたのでしょうね。

そして景行天皇はこう続けます。
「小碓命よ。一人で行って『ねぎ』教えさとせ」

メモ

この『ねぐ(労う:ねぎらう)』という言葉は現在でも、 「かわいがる」や「いたわる」という意味のほかに 「痛めつける」という意味を持ちます。

 

天皇は大碓命をいたわるように命じたのだが、小碓命はそれを逆の意味ととらえ
大碓命を殺害したのでした。

 

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小碓命の西国遠征

小碓命の気性の荒さを警戒した景行天皇は、九州にいる朝廷に従わない熊曽建くまそたける兄弟の征伐に行くように命じたのです。

 

このとき小碓命はまだ15歳であり、このような処分は大変厳しいものでしょう。

しかし、小碓命はやる気満々。

 

小碓命
がんばってお父さんに認められるぞーーーー!!!!

 

かなり気合の入った様子でしたが、

九州に向かう前にまずは景行天皇の妹(小碓命から見れば叔母)である倭姫命やまとひめのみことのもとに行きました。

そしてここで小碓命は女性用の衣装をもらいました。

 

九州まで行くこと自体がそもそも難関ではありますが、倭建命は無事九州にたどり着くことができ、熊曽建兄弟を討つための作戦を考えます。

 

小碓命
普通に戦っても勝ち目はない…どうしよう、、、

 

...そうだ!!!この衣装、作戦に使える!!!

 

九州に着くと、小碓命は熊曽建くまそたける兄弟の祝宴の日に女装をして紛れ込み、隙をついて討伐することに成功しました。

 

死に際に 弟は「九州には私たち以上に強い男はいないけれど、大和にはもっと強い人間がいるんだなあ」
と感嘆し、自分の名前をとって小碓命おうすのみこと倭建命やまとたけるのみことという名を与えました。

メモ

小碓命が倭建命という名を賜ったのは、大穴牟遅神おおなむぢのかみ大国主神おおくにぬしのかみという名を賜ったように、古代の王者の通過儀礼や成年への試練の始まりを表します。

 

このまま大和に帰ることはしない。出雲の国に立ち寄るぞ!!

倭建命は出雲の国の出雲建いずもたけると親しい仲になりました。

 

ある日二人で水浴びに行くことになり、倭建命は木刀を携えて川に向かいました。

 

 

水浴びを終えて川岸に上がって休憩していると

倭建命
お互いの太刀を交換して試合しましょう!!!

 

こう提案しました。
これを出雲建いずもたけるは了承し試合を始めましたが、もちろん出雲建は鞘から太刀を抜くことができず、あたふたしている間に、あっけなく討ち取られてしまいました。

見事、役割を果たした倭建命は景行天皇のもとに西国遠征終了の報告に向かいました。

 

倭建命
お父さん。私は熊曽建や出雲建を討ち、あなたの命令以上の役割を果たしました(`・∀・´)エッヘン!!

 

得意げに話す倭建命でしたが、景行天皇は

「ごくろうさま。じゃあ次は東国遠征に向かってね」と命令します。

 

倭建命
お父さんはひどいよ!!私が死んでもいいと思っているんだ

不満大爆発の倭建命でしたが、西国遠征の時と同様に伊勢大神宮にいる倭姫命のもとに向かうのでした。

 

伊勢に着いても愚痴が止まらない倭建命でしたが、

倭姫命に剣と火打石を入れた袋を授けられ、しぶしぶ東征に向かうことになりました。

メモ

この火打石を入れた袋は火急の場面にしか開いてはならない呪具とされていました。

 

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ヤマトタケルの東国遠征

 

倭建命はまず尾張(愛知)に向かいました。
ここで美夜受比売みやずひめと出会います。

 

倭建命
なんて美しい女性なんだ…私にピッタリだ!!!

 

この女性に恋をした倭建命でしたが、まずは東征に向かわなければなりません。

倭建命
東征を終えてこの地に帰ってきたら結婚してください

 

美夜受比売と婚約をし、ひとまず出発することにしました。

 

この後いろいろありましたが、東国を平定することに成功し、大和に帰る途中に相模の国(神奈川)に寄ることにしました。

 

到着すると国造くにのみやつこ(=その国の支配者)に「そこの草原にある沼には荒ぶる神がいるよ」と言われます。

倭建命
それは退治しなければいけない。私に任せなさい

 

倭建命は草原に入っていきましたが、ここでピンチ!!!

 

なんと草原に火をつけられてしまいます。

倭建命
だ、だまされた...私を嵌めるための罠だったとは、、、

 

ここで倭姫命から預かった剣と火打ち石を思い出します。

剣で近くの草を切り払って、火打石を使って向い火を出して窮地を脱出するのでした。

このことから、この地名は焼遺(やきつ=現在の静岡県焼津市)と呼ばれるようになったのです。

 

倭建命
私を騙した相模の国造、許さん!!!

 

さて、ここから相模の国の造討伐に向かいます。

 

船で向かっている最中、海は大荒れ。先に進めなくなってしましました。

そこで倭建命の妃である弟橘姫命おとたちばなひめのみことが茣蓙(ござ)を海に敷き、そこに座り、荒波に飲まれて海に沈んで行ってしましました。
この結果 海は鎮まり、航海を終えることができたのでした。

 

倭建命
弟橘姫...(泣)

 

そこから倭建命は甲斐、そして信濃を平定しやっと婚約者である美夜受比売みやずひめのもとに帰ってくるのでした。
倭建命は美夜受比売と結婚し、草薙の剣を尾張の国に置いていくことを決めます。

メモ

これが現在、草薙の剣が熱田神宮に祀られる理由であります。

 

今度は、滋賀県の伊吹山にいる荒ぶる神の平定に向かいます。

倭建命
草薙剣は置いてきてしまったけど、素手で倒してやるぞ!!

伊吹山を登っているときに、白く 牛のように大きなイノシシに出会いますが、

倭建命はこれを神の使いだと思い、

倭建命
下山するときに相手してやるから待ってろ。まずはここにいる神を討伐してくる。

 

と言ってさらに登山を進めました。

 

しかし、登山の途中大雨が降り始めます。
この大雨に打たれて倭建命は病気にかかってしまい、

倭建命
ああ、あの時に出会ったイノシシは神の使いではなく神様本体だったんだなぁ

 

と思いました。

 

山を下った後も足を引きずって歩くようになり、ついには死んでしまうのでした。

メモ

倭建命が弱ってしまったのは、尾張に草薙剣を置いてきたからであって、伊勢の大神のご加護を受けることができなくなったからと言えます。

 

この凶報を聞いた妃達は、大和から熊煩野のぼのの(三重県亀山市)に集まりました。

すると、倭建命は白鳥に姿を変え、天高く飛び上がりました。

そのまま現在の大阪府羽曳野市まで行き留まり、そこに墓がつくられたのでした。

 

時は流れ、景行天皇が退くと景行天皇の子である成務天皇が皇位に着きます。

成務天皇は国より小さい行政区分を定め、国は安泰となりました。

メモ

これまでの皇位継承順で考えれば、ここで成務天皇の子が皇位を継承するべきであると考えられますが、倭建命の子が継承しており、いわば屈折があるとも読み取れる。 ここから倭建命の功績を無視することができなかったという事情がうかがえます。

 

たむ
今日はここまででおしまい!次回で中巻は完結予定です。ぜひ見てくださいね^^

 

こま君
わん!!

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