「神をどのくらい信じていますか。」
「神は本当に存在していると思いますか」
皆さんは、これらの質問にどのように回答しますか。
私は神職の家系に生まれ、幼いころから神社と接点を持ってきました。今では私も神職となり、日々ご祭神と接していますが、自分の神道の神に対する感覚をうまく言葉にできないことが多くあり、信仰というもの自体が何か分からなくなることもありました。私自身、この問いについて考えていくうちに、「神が存在するか」という問題以上に「現代の私たちにとって宗教や神社がどのような意味を持つのか」という点が大切なのではないかと思うようになりました。
今回は、神職である私が改めて、現代における宗教、特に神社神道の意義について考え、それを言葉にしてみようと思い、パソコンを開いています。文章力・表現力に欠ける箇所も多くあるかと思いますが、読んでいただけると嬉しいです。
なお、神社に全く関心がない友人に向けて、神とお墓参りの共通点に着目して説明を試みた体験談を以下にリンクを貼っておきますので、よければご覧ください。
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目次
宗教の役割の変化「神の存在は未知の説明から新たな価値へ」
古代において、病気や天災、天体の動きなど人間の知恵では及ばない「未知のこと」は神の働きによるものと受け取られることが多々ありました。当時は、未知の事象を説明するために、神様の存在が必要不可欠だったのだろうと思います。しかし、科学が目覚ましく発展した現代日本では、かつて謎だった現象の多くが解明され、自然現象を説明する上で神の存在が語られる機会は少なくなったように感じます。
しかし、そんな現代においても宗教がなくなることがないのは、「神を信じる」というかつての本質であった部分に加え、新たな価値が生まれてきたからだと思います。
「神社に行くこと」と「神様を信じること」はイコールではない
前段落で述べたことが日本人の神社参拝にも言えます。
神社での参拝の際に、その神社のご祭神を具体的にイメージして熱狂的に信奉しているという方は少数で、多数は神様について明確なイメージを持っているわけではないかもしれません。それでも多くの日本人が神社に行くのは、「神を信じる」ということだけでなく、もっと「ざっくりとした、心地よい理由」があるからではないでしょうか。
次の段落では、「宗教の本質的な価値がシフトしていったこと」と「神道の神を盲信していなくても神社に行く『ざっくりとした理由』」について述べていきます。
現代の宗教の役割は道徳や規範としての「拠り所」となること
宗教の本質的な価値は「未知の事象の理由付け」から「生きる上での道徳、社会の規範」、「アイデンティティの表現」へとシフトしていったのではないかと思います。
宗教の生きる上での道徳、社会の規範としての役割について
現代において宗教を信じるということは、神の存在を信じるというより、「その教えが説くモラルや生き方を支持している」という状態に近いと考えます。神道には明文化された教義教則や戒律はなくても「神様が見ているから、悪いことはやめておこう」「神様に顔向けできない行動はしない」というように、神社という存在が、私たちの心の中に「ゆるやかな道徳心や規範」を育んでくれています。
宗教を信仰、教えを実践することでのアイデンティティの表現について
お正月、七五三など季節ごとに神社に参拝し、年中行事に参加することで、私たちは「自分は日本という歴史文化の流れの中に生きている」という安心感や「伝統に対する誇り」を無意識に受け取っています。さらに、お祭りを通して伝統的・歴史的行事の実践・継承という共通の目的を持って人々と接することで、関係がつながり、日本人としてのアイデンティティがより強固になるのではないかと思います。
また、一歩境内に入ったときの静けさや美しい空間には現代人の疲れた心を休める力があると思います。特に都会で生活をする現代日本人にとって、ビル群の中にも凛と存在する神社は まるでオアシスのように乾いた心を癒してくれる安らぎの場所に感じられ、どこか懐かしいような安心感を得ることができるのではないでしょうか。
神道では感謝と畏敬の念を持って、日々正しく生きることが重要
「神の実態がどうか」、「そもそも本当に存在しているか」分からない中でも、敬意を持って神前に立ってみるというのが現代の神社との付き合い方だと考えます。
「宗教を信じているなら神様を厚く信奉していなければならない」、「神様を信じていないなら、神社に行くのは矛盾している」 というように、信仰に白黒つける必要はありません。神様の実態はわからなくても、その歴史や空間に敬意を払い、自分の心を整えるために鳥居をくぐってみる。それくらいグラデーションのある、ざっくりとした理由のままでいいのではないでしょうか。
これまでの歴史の中では、神を信じているから宗教施設に行くというのが常識だったかと思います。心地よさを得ることを目的に神社に行き、そこで荘厳な自然や社殿の様子を見て御祭神の存在を感じるというプロセスは一見すると主客転倒しているように感じますが、これが現代の信仰との向き合い方なのではないかと思います。
神道は、神の存在を理論的に論証することよりも、祭祀を続け、感謝や畏敬の念をもって日々を正しく生きることを大切にしてきた伝統だと私は理解しています。神道において神様を信じるということは、何かを盲目的に信じ込むことではなく、目には見えないものへの感謝と畏敬を忘れずに生きようとする姿勢なのかもしれません。
私は神職として奉仕している間は当然に御祭神の尊さを感じますし、日常においても敬意をもって過ごしています。一般の参拝者と比較すれば神様に対して熱い思いを持っているのかもしれませんが、宗教・神道という大きな仕組み・力からすれば、それほど大きな問題ではないのかもしれません。各々が感じる神様への敬意や、自分なりの信仰のあり方に従って参拝すればよいのだと思います。
最初に提示した「神をどれくらい信じているのか」という問いには「信じているけれど、その感覚はざっくりとしていて、度合いは自分でも分からない。けれど、漠然とした何かには敬意を払っている。また、日本の伝統文化である神道を実践することにはアイデンティティを強く感じている」としか答えられません。しかし、そのざっくりとした感覚こそが、現代の宗教や神道に対する自然な感覚であるのではないかと思います。