こんにちは!神職の けん です。
神社で祭典を見かけたとき、神職が身につけている装束に目を留めたことはありませんか?
現在、神職が祭典で身につける装束は、祭典の規模などに応じて衣冠・斎服・狩衣・浄衣などが使い分けられています。
では、なぜ神職はこのような装束を着るのでしょうか。
実は、現在の神職装束を理解するには、神職の歴史だけを見ていても十分ではありません。
そのルーツをたどると、古代の律令制度によって整えられた朝廷の服制、そして平安時代の宮廷社会で発展した束帯・衣冠・狩衣などの装束へと行き着きます。
目次
古代の朝廷での服装の決まり「礼服・朝服・制服」
日本の服制が大きく整えられたのは、8世紀頃です。
大宝令・養老令では朝廷に仕える人々の服装について、礼服・朝服・制服という区分が設けられました。
この三つは、着用する場面や身分によって使い分けられていました。
最も格式の高い「礼服」
礼服は、元日や即位、大嘗祭など、特に重要な朝廷の儀式で着用される服装です。
現在の感覚でいえば、最も格式の高い儀礼服にあたります。
有意の官人が朝廷に参上するときの「朝服」
朝服は、有位の官人が朝廷に参上する際などに着用する服装でした。
礼服ほど格式が高いものではありませんが、朝廷における公的な服装として重要な位置を占めていました。
無位の官人が朝廷に参上するときの「制服」
制服は、無位の官人などが着用する服装です。
制服は次第に用いられなくなり、徐々に廃れていきました。
このように律令国家では、誰が、どのような立場で、どのような儀式に出るのかによって服装が決められていたのです。
平安時代になると国風化によって朝廷の服装は変化する
平安時代に入ると、朝廷の儀式や政治のあり方が変化していきます。
古代の律令で定められた服制も変化しました。
礼服は次第に使用される機会が少なくなり、朝服が重要な儀式にも用いられるようになります。
そして朝服は、平安時代の宮廷社会の中で次第に形を変え、整えられていきました。
その中で成立した代表的な装束が、束帯です。
「束帯」とは?
束帯は、平安時代の公家男性にとって非常に格式の高い装束でした。しかし、その格式高さ故に、着用には多くの手順が必要でした。
そこで重要になってくるのが、衣冠です。
「束帯」と「衣冠」はどう違う?
衣冠は、束帯よりも簡略化された装束として発展しました。
もともと衣冠は「宿直衣(とのいぎ)」とも呼ばれ、文字通り泊りの勤務等で用いられる、ゆったりとした装束でした。
束帯が用いられていたころは衣冠で参朝するということは許されなかったでしょうが、時代が流れ、宮廷社会のさまざまな場面で用いられるようになりました。
「単」が持つ意味
装束の簡略化の流れから、衣冠で単(ひとえ)を省略する場面もありました。これにより、単を着用することが準正装的な扱いを受けるようになったとも言われています。
このように平安時代には束帯と衣冠のように様々な装束が生まれ、宮廷社会の中で、格式や用途に応じて装束が分化し、使い分けられるようになりました。
貴族の普段着「直衣」
ここまで参朝の際の装いについて確認してきましたが、貴族は日常ではどのような服を着けていたかというと「直衣」をつけていました。
直衣は日常の装いであるので、色の決まりがほとんどありませんでした。
時代が進むと、私的な装いであった直衣も、天皇の許しを得て公的な場面で用いられるようになりました。
これにより、夏は二藍色、冬は白色というルールが固定化していきました。また、参朝の際は烏帽子に代えて冠をつけたようです。
「柔装束(萎装束)」から「強装束」へ
平安時代後期になると、装束そのものの形にも大きな変化が起こります。
その代表が強装束(こわしょうぞく)です。
それまでの装束には、比較的柔らかく身体に沿う「柔装束(なえしょうぞく)」が中心でした。
これに対して強装束は、糊などによって生地に張りを持たせ、衣服の線をはっきりと見せる装束です。着用すると、衣服が身体から大きく張り出したような、直線的で力強い姿になります。
その一方で、装束そのものが硬くなったため、着装には手間がかかり、介添えを必要とすることもありました。この頃に「衣紋道」という装束を美しく身につけるための作法・技術が発展し、高倉流や山科流という流派も生まれました。
平安時代後期の上皇による院御所での院政と装束文化
平安時代後期には、上皇が院御所を拠点として政治を行う院政が始まります。院政期には、内裏だけでなく院御所も政治や儀礼の重要な舞台となりました。
こうした社会の変化とともに、内裏の常識を覆すような装束の扱いも進んでいき、さらなる装束の発展が見られました。
狩衣は鷹狩用の服だったが、時代と共に日常的に用いられるようになった
平安時代の装束を語るうえでもう一つ欠かせないのが、現在の神職装束にも使われている狩衣です。
狩衣は、その名の通り、もともと鷹狩り等に用いられた服でしたが、その着用のしやすさから、平安時代になると、公家男性の私的な服装としても用いられるようになり、発展していきました。
もともとは私的な服だったということから、束帯・衣冠と比べると色等についてのルールは緩かったのではないかと言われています。
なお、袖括りの紐の色や太さ、形状によって年齢・身分の違いが示されたと言われます。
狩衣より改まった小直衣
狩衣に関連する装束として、小直衣(このうし)があります。
小直衣は、狩衣に襴(らん)をつけたような形をした装束で、狩衣よりも改まった場面で用いられました。
このように平安時代の公家社会では、束帯・衣冠・狩衣・小直衣など、多様な装束が存在し、それぞれが場面や格式に応じて使い分けられていました。
平安時代は袍の色(黒・緋・縹等)で身分を表した
平安時代の装束を語るとき、もう一つ重要なのが色です。
古代の律令制では、袍の色も身分を表す重要な要素でした。
大宝令・養老令では、有位者について紫・緋・緑・縹などの服色が定められ、無位者には黄色が用いられました。
しかし、平安時代になると服色の体系も変化していきます。
◇一位から四位:黒
◇五位:緋
◇六位以下の有位者:縹
という位階による色の体系が成立していきました。
このように、装束の色には、その人の社会的な位置が表されていたのです。
そして、この古代以来の位色の伝統は、後の神職装束にもつながっていきます。
武家社会と装束「狩衣や直垂」
鎌倉時代に入り、武家が政治の中心として大きな力を持つようになると、武家社会独自の装束文化も発展します。
上級武家では、公家の装束文化の影響を受けて束帯や衣冠、狩衣なども用いられました。
一方、武家社会では直垂(ひたたれ)も重要な服装として発展していきます。直垂は、時代が進むにつれて形や格式、着用する身分が変化していきました。
江戸時代になると、大紋・素襖・裃なども含め、武家の身分や儀礼に応じたさまざまな装束が使い分けられるようになります。
このように、平安時代に発展した装束文化は、武家社会にも受け継がれながら、それぞれの社会に合わせて変化していったのです。
明治時代の神職装束
明治時代になると、神職の装束についても近代的な制度として整備されていきます。
明治27(1894)年には「神官神職服制」が定められ、神職の装束についても祭典の格式に応じた服装が制度化されました。
この時期に、古代以来の宮廷装束を基礎とする衣冠などが、神職の祭典用装束として明確に位置づけられていきます。
ただし、当時の神職が全員同じ装束を所有していたわけではなく、神社の規模や神職の身分などによって、実際の装束には違いもありました。
現在の神社での神職装束
戦後になると神社制度そのものが大きく変わり、昭和21年(1946)には神社本庁の服制が整えられ、現在につながる神職の祭祀服装が定められました。
現在の神職装束を見ると、古代から続く日本の服装文化がさまざまな形で残されています。
大祭に用いる正装(正服)は「衣冠単」
大祭(例祭・祈年祭・新嘗祭など)や天皇・三后(皇后・皇太后・太皇太后)・皇太子または皇太孫ご参拝の場合などで着用される正装が衣冠単です。
これは平安時代の宮廷装束として発展した衣冠・単にを踏襲した装束です。
古代の朝廷における服制から、平安時代の公家社会、そして近代の神職制度へと続いてきた歴史を見ることができます。
正装(正服)は特級・一級が黒、二級上・二級が赤、三級以下が緑(青)色
正装は神職の身分(級)によって下記別表の通り、色が定められています。
| 身分(級) | 袍の色 | 袴の色 |
| 特級 | 黒 | 白(紋あり) |
| 一級 | 黒 | 紫(濃い紋あり) |
| 二級上 | 赤 | 紫(薄い紋あり) |
| 二級 | 赤 | 紫(紋なし) |
| 三級以下 | 緑(青) | 浅葱 |
このように平安時代に定められた服制に倣って、現代の正装も色が定められているのです。
なお、袴の色は日常(祭典奉仕時)用いている袴の色と同様です。
中祭に用いる礼服は「斎服」
中祭(歳旦祭・紀元祭・天長祭など)で着用される礼装は斎服です。
これは現在の神職制度の中で整えられた礼装で、近代以降の神職の祭祀服装として制度化されたものです。
身分による色の違いはなく、すべての神職が白色の袍・単・袴を用います。
小祭等で用いる常装は「狩衣・浄衣」
小祭や諸祭などで用いられる狩衣・浄衣には、平安時代の公家社会で発展した狩衣の伝統が受け継がれています。
特に狩衣は、狩猟に用いられた服装を起源とし、公家の日常的な装束へと発展した後、現在では神職の装束としても定着しています。古代以降の伝統と同様に色については指定がありません。
浄衣とは白色の狩衣のことです。身分による色の違いはなく、すべての神職が白色の袍・単・袴を用います。
神職装束は単なる「昔の服」ではない
神職の装束を見ていると、どこか古代や平安時代を思わせる姿に感じるかもしれません。
実際、その印象は間違いではありません。
しかし、現在の神職装束は、単純に「平安時代の服をそのまま着ている」というものでもありません。
古代の律令制による服制。
平安時代の宮廷社会で発展した束帯・衣冠・狩衣。
武家社会の中で変化した装束。
そして明治以降に制度化された神職の服制。
これらが長い時間をかけて積み重なり、現在の神職装束へとつながっています。
つまり、神社で神職が身につけている装束は、日本の歴史の中で育まれてきた服装文化と、神社の祭祀制度が重なり合ってできたものなのです。
次に神社を訪れたときには、ぜひ神職の装束にも注目してみてください。
その一着の中には、古代の律令国家から平安時代の朝廷、武家社会、そして近代の神社制度へと続く、長い歴史が込められています。