ブログ 豆知識

【大須歴史散策 第2弾】三輪神社|名古屋・大須の歴史と由緒、見どころを神職が解説

  1. HOME >
  2. ブログ >

【大須歴史散策 第2弾】三輪神社|名古屋・大須の歴史と由緒、見どころを神職が解説

こんにちは!神職の けん です。

普段は三輪神社の神職をしながら、当ページやXで神社の豆知識や日々思ったことを綴っています。


私は大須の神社で奉仕する私が、神社や史跡を巡りながら、町の歴史を案内する記事を書いています。

今回は 「大須歴史散策 第2弾」 として私の奉仕している「三輪神社」を紹介いたします。

なお、当シリーズは下記の通り、5弾の構成で公開いたしますので、ぜひ他のページもご覧ください。

神職けん による名古屋・大須の神社史跡案内シリーズ

第1弾 大須はなぜ栄えた? 前津小林村から始まる大須の歴史

第2弾 三輪神社 ― 大須の歴史を見守り続けた「幸せの杜」

第3弾 大直禰子神社 ― 「おから猫」と呼ばれた三輪信仰の神社

第4弾 春日神社 ― 前津の鎮守として受け継がれてきた祈り

第5弾 富士浅間神社と浪越山 ― 富士山信仰と古墳が残る大須の聖地

目次

三輪神社はどんな神社?

名古屋市大須の三輪神社では下記の2柱の御祭神をお祀りしております。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

徳川義宜公(とくがわよしのりこう)

大物主大神は「縁結び」「良縁成就」を始め、家内安全、商売繁盛、厄除け、開運など、人と人とのあらゆる「ご縁」を結ぶ神様として古くから信仰されています。

また後述しますが、必勝祈願・当選祈願の神社としても信仰されており、近年は推しの活躍やコンサート等の当選のご利益でも知られています。

 

三輪神社の大物主大神は大国主神(大黒様)と同一とされている神

三輪神社は奈良県桜井市に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)が本社であるとする説が一般的です。

大神神社は三輪山そのものをご神体とする日本最古の神社の一つとして知られています。古くから「三輪明神」とも呼ばれ、奈良県だけでなく全国で親しまれている神社です。

大神神社で祀られている大物主神は『古事記』や『日本書紀』で多くの物語に登場します。

大物主大神は『古事記』『日本書紀』では国づくりを完成へ導いた神

大物主大神は日本の古い歴史書でる『古事記』『日本書紀』に登場する神です。

『古事記』には下記のような話で現れます。

『古事記』国造りの段のあらすじ

大国主神(オオクニヌシ神)は少彦名神(スクナヒコナ神)とともに国づくりを進めていましたが、少彦名神は常世国へ帰ってしまいます。一人での国づくりに悩む大国主神の前へ、海の彼方から光り輝く一柱の神が現れました。その神は「私を倭の青垣、東の山(三輪山)に祀れば、国づくりは成就する。」と告げます。

大国主神がその言葉どおり三輪山にお祀りすると、国造りは無事に完成しました。

上記、『古事記』において国造りを助けた神こそが大物主大神です。

三輪山に鎮まる神として、大神神社では今もなお山そのものを御神体としてお祀りしています。

『日本書紀』では大物主神は大国主神の「幸魂・奇魂」

『日本書紀』では、大物主大神を大国主神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)といい、大国主神が持つ働きの一部を神格化した存在として描いています。

神道では一柱の神様にも荒々しい部分を象徴する「荒魂(あらみたま)」、和やかで調和を象徴する「和魂(にぎみたま)」という側面があると考えています。さらに、和魂の部分を細分化すると、幸魂(さきみたま)や奇魂(くしみたま)という働きに分けることができます。

このため、三輪神社では大物主大神と大国主神を深い関わりを持つ神様と理解しています。

 

大物主大神と活玉依姫を結ぶ赤い糸

大物主大神は『古事記』で、三輪の赤い糸の話にも登場します。

『古事記』オオタタネコの段のあらすじ

活玉依姫(イクタマヨリヒメ)という美しい女性ののもとには夜になると若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、まもなく活玉依姫は身ごもります。姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝、その糸を辿ると三輪山にたどり着き、これによって若者の正体が大物主大神であると知ります。この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けました。

この物語は、「崇神天皇の御代に疫病が流行った際、大物主大神の子孫である意富多多泥古命(オオタタネコ命)を三輪山の祭司にしたところ、疫病が治まった」という逸話に併せて紹介されています。

 

神武天皇の皇后につながる神話

大物主大神は『古事記』『日本書紀』で、初代神武天皇の皇后となる比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ) の父としても登場します。

『古事記』神武天皇の段のあらすじ

ある日、比売の母・勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が川辺にいたところ、上流から一本の赤い矢が流れてきて、陰部に刺さります。矢を家へ持ち帰ると、その矢は美しい男性へと姿を変えます。この美しい男性は大物主神であり、その後生まれた比売多多良伊須気余理比売は神武天皇の皇后となりました。

この神話は三輪の神が皇室とも深いご縁を持つ神であることを伝えています。

 

大正時代に合祀された尾張徳川16代藩主徳川義宜公

ご祭神として祀られている 徳川義宜公(とくがわ よしのりこう) は、尾張徳川家第十六代当主です。

父は14代藩主徳川慶勝で、15代藩主である叔父の徳川茂徳の跡を継ぎ、わずか6歳で藩主となりました。

幼少で藩主となったため実際の藩政は父・慶勝が支えましたが、明治維新後には新政府とも良好な関係を築き、名古屋藩知事にも任じられています。

文武に優れた人物と伝えられていますが、明治8年(1875)に18歳という若さで亡くなりました。

 

なぜ徳川義宜公が三輪神社の御祭神として祀られているのか

もともと名古屋城に徳川義宜の霊廟があり、それが東区大曽根の屋敷(現在の徳川園の付近)に移されましたが、これが廃されるに際して大正12(1923)年に三輪神社に合祀されました。

詳細な理由は分かっていませんが、江戸時代から尾張徳川家の崇敬を受けていたことなどが、三輪神社が選ばれた理由の一つではあるでしょう。

現在は毎年11月18日に徳川義宜公祭を執り行っています。

 

創建はいつなのか 三輪神社最大の謎

三輪神社の創建年代は、実は明確には分かっていません。三輪神社について書かれた現在見つかっている中で最も古い史料は江戸時代のもので、その他の史料の中にも創建年代を不詳とするものが多数です。

一部、元亀年間(1570〜1572年)に創建されたと記載していものもありますが、この年代は創建ではなく再興された時期ではないかという説も根強く、確かなことは未だ分かっていません。

『尾張名所図会』・『尾張名陽図会』と『尾張志』は異なる記述を残す

江戸時代後期の地誌には、様々な伝承が記されています。

まずは、『尾張名所図会』と『尾張名陽図会』の記載を確認しましょう。

『尾張名所図会』

三輪明神社 清浄寺の南にあり。牧氏の建立なり。

『尾張名陽図会』

三輪社 牧氏の建立なり。

以上のように、小林城主・牧長清が建立したと伝えています。

一方、『尾張志』では以下のように記述しています。

尾張誌

三輪社 ここにうつし祭れる年月は知がたし

上記のように、創建年代を不詳としています。

さらに『楽寿筆叢』では「神代勧請」とも記されており、謎は深まります。

 

三輪神社の創建または再興に関わった牧長清

牧長清は織田信長の妹婿で、小林城主として大須周辺を治めた人物です。

三輪神社だけでなく、春日神社や富士浅間神社の社伝にもその名が残されています。また、社領を寄進した記録も伝えられていることから、創建または再興に関わった人物と考えるのが自然でしょう。

大須の神社を巡ると、牧長清という人物が何度も登場します。それほど、この地域の神社の歴史と深く結び付いた存在なのです。

 

江戸時代には『おんない明神(恩愛明神)』と呼ばれていた?

江戸時代前期に尾張藩が編纂した『寛文村々覚書』には、「おんない明神」と書かれており、また19世紀の『尾張名陽図会』では「恩愛の神をまつる」と記されています。

このことから、かつては「おんない明神」という名で呼ばれていたことが分かります。

では、「おんない明神」とは何だったのでしょうか。

実は、その由来は現在もはっきり分かっていません。『尾張霊異記』には「三輪明神は女体」とあり、氏子地域では女子が生まれることが多かった記されています。こうした伝承から、「おんな(女)」に由来する「おんない明神」という呼び名が生まれたのではないかという説があります。

また、大国主神の御利益として知られる「縁結び」から転じて「親子などの恩と愛」に関する神とされ、「おんない」と呼ばれたという説もあります。

江戸時代、尾張徳川家の崇敬を受けた神社

合力米を賜った三輪神社

江戸時代、三輪神社は尾張徳川家から厚い崇敬を受けました。

延享2(1745)年には、尾張藩八代藩主 徳川宗勝から毎年、合力米を賜るようになります。

合力米とは、困窮する寺社や人々へ与えられる扶助米です。この記録から、三輪神社が藩の保護を受けながら祭祀を続けていたことが分かります。

 

「矢場町」の地名の由来〈三輪神社の指矢場と星野勘左衛門〉

三輪神社にあった尾張藩の矢場

国宝・三十三間堂 正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。 これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。 「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。 平安後期、約30年の間、院政を行った後白河上皇が、自… | 建築, お寺, 京都

江戸時代には各藩が威信をかけた「通し矢」が盛んに行われていました。通し矢とは、長い軒下で矢を射て、端から端までを通した本数を競う競技で、長い廊下で一昼夜矢を射続け、本数を競う「大矢数」は当時の天下一の競技でした。

尾張藩では寛文八(1668)年、三輪神社境内に京都・蓮華王院(三十三間堂)を模した指矢場を設け、修練を行っていました。

天下一の弓取り・星野勘左衛門

その矢場で修練を積んだと伝わるのが 星野勘左衛門です。

寛文九年、京都・蓮華王院で行われた大矢数では、総矢数10,542本のうち8,000本の記録を残し、「天下一の弓取り」と称えられました。

 

矢場はなくなっても地名は残った

文化四(1807)年頃に矢場は廃止されましたが、町の人々は、この場所を「矢場町」と呼び続けました。

昭和の住居表示で町名は消えましたが、現在も地下鉄駅やバス停名として「矢場町」が残っています。

境内には、その歴史を伝える「矢場跡」の記念碑があります。

 

 

明治維新で境内は大きく変わった

上知令以前は千坪以上あった三輪神社境内

明治維新以前、三輪神社の境内は現在よりはるかに広く、およそ一千坪を超えていたと伝えられています。

しかし、明治時代になると、上知令によって境内地は政府へ召し上げられ、大きく縮小されました。社領を召し上げられ社入が減少した三輪神社に対して、減少相当分の補償が行われたとの史料も残ります。

現在の境内は、明治政府によって縮小を余儀なくされた後の姿です。

村社・神饌幣帛供進指定社となった三輪神社

明治になると新しい社格制度が始まり、三輪神社は村社に列しました。

さらに、神饌幣帛供進指定社となり、祭典には国から神饌幣帛料が供進される神社となりました。

「三輪町」という町名の由来になった

江戸時代から三輪神社の辺りは「三輪町」と呼ばれていたようですが、明治11(1878)年には前津小林村の一部が「三輪町」と正式に指定されます。

三輪町は三輪神社の東側に所在しました。もともとこの辺りの多くは田んぼで、武家屋敷が数軒建つだけでしたが、享保13年ごろから家が建ち始め、大須の発展と共に、中流階級の住宅が並ぶ通りになりました。空襲により家屋が焼失してからは、大津道路を境に静かな東側と西側に分かれていきました。

三輪町は昭和44(1969)年の住居表示で現在の大須三丁目・四丁目となり、三輪町という地名は姿を消しましたが、三輪神社内には多くの三輪町の文字が残されています。

神社の名前が町名になっていたことは、地域にとって三輪神社が中心的な存在だったことを物語っています。

戦災を乗り越えた神楽殿

昭和二十年、名古屋空襲によって三輪神社は大きな被害を受けました。

社殿のほとんどが焼失し、現在の本殿や拝殿は戦後に再建されたものです。

しかし、いくつか戦火を免れた建物があります。それが神楽殿と社務所の一部です。

大正十二年に建てられた神楽殿は、公開されている当社の建造物のなかでは最も古く、百年以上にわたり大須を見守ってきた建物です。

例祭などでは、この神楽殿で能などの芸能の奉納が行われます。

 

三輪神社の鳥居の左右に小さな鳥居が付属するのはなぜ?三倍のご利益の「三輪鳥居(三つ鳥居)」

三輪神社の境内入り口には鳥居の左右に小さな鳥居がついた珍しい形式をしています。

この鳥居は三輪鳥居(三つ鳥居)といい、奈良県に鎮座する大神神社の伝統を受け継いでいます。

大神神社では、この鳥居は拝殿の奥、禁足地との境に建てられています。この鳥居は祈祷や正式参拝で拝殿に上がった時などの限られた場面しか見ることができませんが、元伊勢とも言われる大神神社の摂社 檜原神社ではどなたでもこの鳥居を目前に参拝することができます。

なお、参拝者が通り抜けることができる三輪鳥居はさらに珍しく、当社では古くから左・右・左と8の字に通ると三倍のご利益をいただけると伝わっています。

 

三輪神社の境内にある3つの摂末社の歴史と由緒

三輪神社の拝殿向かって右手側奧には幸宮社白龍社福光稲荷社の三つの摂末社が鎮座しています。

これらの摂末社には独自の由来・信仰がありますので、それぞれ確認していきましょう。

【三輪神社の摂末社①】もともとは独立の神社だった幸宮社と幸せ詣

幸宮社は三輪町で猿田彦大神を祀る幸宮神社という独立の神社でした。幸宮神社は古い地図等にも記載が見つかっておらず、詳しい旧鎮座地は分かっていませんが、昭和30年に土地区画整理等の事情により、境内の秋葉社・津島社と合祀し、現在の幸宮社となったと伝わっています。

神社名から古くから日々の幸せを祈る参拝者が多く、また開運・厄除け・火難除け・疫病除けの神様として独自の信仰を残しています。

【三輪神社の摂末社②】大神神社の白蛇伝説、出雲大社の蛇信仰を伝える白龍社

三輪神社の白龍社は昭和62年に白龍社を創建しました。もともと白龍社のあった場所には、末社を建てるための石の台座が置かれていました。詳しいことは分かっていませんが、古くは別の末社が鎮座していたものと考えられます。三輪神社の宮司が訳あって宗像神社から龍神様をお預かりすることになり、台座の上に社殿を建ててお祀りしたのが始まりです。

三輪神社のご祭神である大物主大神は古くから蛇と深いご縁を持つ神様で、『日本書紀』では、倭迹迹日百襲姫命の前に蛇の姿で現れた神話が伝えられています。

また、大物主大神は大国主神と同一の神とされていることは前段で紹介した通りですが、大国主神をお祀りする出雲大社では蛇に関する信仰が知られています。

出雲地方では神無月を神有月と呼び、全国の神々が出雲大社に集まると信じられていますが、この神々は出雲大社の西側にある稲佐の浜から蛇に先導されてやってくると考えられています。

このことから三輪神社の神様や参拝者を導く役割として、蛇から転じて龍神を信仰するようになりました。

 

【三輪神社の摂末社③】三輪神社と中公設市場に由緒を持つ福光稲荷社

3社ある摂末社の内、一番東側に階段を有して鎮座しているのが福光稲荷社です。

福光稲荷社には大須にかつてあった生活に必要なある場所と密接に関係した由緒が存在します。

その場所とはは大正7(1918)年に三輪神社の前につくられた「中公設市場」です。中公設市場は米騒動の反省として、安価な食糧の安定的な供給のためにつくられた公設の市場です。

市場の屋上には稲荷社が鎮座しておりましたが、昭和11(1936)年の市場改築に伴って三輪神社境内に遷座、またはもともと三輪神社に鎮座していた稲荷社に併せてお祀りしたと伝わっています。

平成29(2017)年に中公設市場は廃止されましたが、市場で出店していた人々の多くは大須で商売を続けており、いまでも多くの参拝者に五穀豊穣・商売繁盛の神様として親しまれています。

 

なでうさぎ ― あらゆる「縁」を結ぶ神使

 

三輪神社のご祭神と同一の神様とされている大国主神は「因幡の白兎」のお話で知られています。

『古事記』大国主神の国造り(因幡の白兎)の段のあらすじ

大国主神は、皮をはがされて苦しんでいる一羽の白兎に出会います。兄神たちは白兎に海水を浴びて風に当たるよう教えましたが、それは傷をさらに苦しめる嘘でした。

大国主神は白兎に「真水で体を洗い、蒲の穂の上で休むように」と教えます。白兎がそのとおりにすると傷はたちまち癒え、元の白い姿に戻りました。

白兎は八上比売の使いであり、大国主神と八上比売は結ばれることとなりました。

この神話から、兎は良縁やさまざまなご縁を結ぶ神使として親しまれており、拝殿前には「幸せのなでうさぎ」が置かれています。

近年は、御祭神のお使いとして幸せを運んでくれださる「幸せのなでうさぎ」に対して、お供えをする風習が生まれ、祈願が成就した参拝者によって沢山の酒や野菜などが供えられています。

なお、カラス等による被害を防ぐため、お供え物を持参の際は、神社の社務所にお預けいただくようご案内しております。お預かりしたお供え物は神社職員の目が届くときにお供えをし、SNS等にもその様子を投稿してお知らせしております。

 

 

なぜ三輪神社が「幸せの杜」と呼ばれるのか

現在の三輪神社はご縁を繋ぐ「幸せの杜」という愛称でも親しまれています。

ご縁というと恋愛に関する縁を第一に思い浮かべる方も多いかと思いますが、それに限らず、友人・仲間とのご縁、仕事とのご縁、良い出来事、そして神様とのご縁などあらゆることにご利益があると信じられています。

古くから地域を見守り、大須という町とともに歩み続けてきた神社だからこそ、多くの人が人生の節目に参拝する神社となっています。

 

次章予告|「おから猫」の神社・大直禰子神社へ

三輪神社から歩いて数分の場所には、大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)が鎮座しています。

「おから猫」という不思議な名前で親しまれてきたこの神社は、古代、大物主大神の祭祀を担った大田田根子命をお祀りする神社です。

次章では、大直禰子神社の歴史・由緒や三輪神社と大直禰子神社の関係についてご紹介いたします。

関連記事

  • この記事を書いた人

神職〈けん〉

神社で生まれ育ち、名古屋市大須の三輪神社で奉仕する神職です。キリスト教系の学校で学び、法学を修めた後、神職となりました。「神社をもっと身近に」をテーマに、このサイトを運営しています。

-ブログ, 豆知識

Copyright© 神社のハナシ , 2026 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.