普段は三輪神社の神職をしながら、当ページやXで神社の豆知識や日々思ったことを綴っています。
私は大須の神社で奉仕する私が、神社や史跡を巡りながら、町の歴史を案内する記事を書いています。
今回は 「大須歴史散策 第3弾」 として私の奉仕している三輪神社から徒歩5分程度の場所に鎮座する「大直禰子神社」を紹介いたします。
なお、当シリーズは下記の通り、5弾の構成で公開いたしますので、ぜひ他のページもご覧ください。
神職けん による名古屋・大須の神社史跡案内シリーズ
第4弾 春日神社 ― 前津の鎮守として受け継がれてきた祈り
第5弾 富士浅間神社と浪越山 ― 富士山信仰と古墳が残る大須の聖地
目次
大直禰子神社のご祭神「大直禰子命」はどんな神様?
大直禰子神社の御祭神は『古事記』『日本書紀』に登場する「大直禰子命(おおたたねこのみこと)」 です。
ここからは上記2つの歴史書の内容を確認しながら、大直禰子命について紹介していきます。
大物主神と活玉依毘売の「みわの赤い糸」の物語
『日本書紀』には「オオタタネコ命」の誕生に関わる物語が紹介されています。
『古事記』オオタタネコの段のあらすじ
活玉依姫(イクタマヨリヒメ)という美しい女性ののもとには夜になると若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、まもなく活玉依姫は身ごもります。姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝、その糸を辿ると三輪山にたどり着き、これによって若者の正体が大物主大神であると知ります。この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けました
この物語は「大須歴史散策 第2弾 三輪神社」で紹介したものと同様です。
この先は『古事記』と『日本書紀』で異なり、オオタタネコを『古事記』では大物主大神の玄孫、『日本書紀』ではこの時生まれた大物主大神の子としています。
大物主大神の神託から崇神天皇により三輪山の祭主とされたオオタタネコ
大田田根子命は崇神天皇の御代に活躍します。
再度、『古事記』『日本書紀』の内容を確認しましょう。
『古事記』のあらすじ
崇神天皇の枕元に大物主大神が現れ、「私の子孫であるオオタタネコという人物に私を祀らせれば祟りも収まり、国も平安になるであろう」とおっしゃっり、崇神天皇は言われた通り、オオタタネコという人物を探し出し、大物主大神の鎮まる三輪山の祭主とした。
上記は『古事記』のあらすじですが、『日本書紀』にも基本的には同じ内容が記されています。
〈大須で三輪信仰をつなぐ?〉大直禰子神社と三輪神社
前段落で紹介したように三輪山とオオタタネコ命は重要な関係にあり、三輪山を御神体としている大神神社には「大直禰子神社」が摂社として鎮座しています。
大須には奈良県の大神神社と同様に大物主大神をお祀りする三輪神社がありますが、大物主大神の祭祀を司ったオオタタネコ命をお祀りする神社が徒歩数分の距離に鎮座しています。
創建当時から三輪神社との関係があったかどうかは定かではありませんが、大須の歴史を紐解く上では興味深い内容だと思います。
「おから猫」と呼ばれてきた大直禰子神社
名古屋大須の神社の歴史を調べる時は、基本的には江戸時代頃の史料が手掛かりになります。
江戸時代から明治時代にかけての文献には、大直禰子神社は「おから猫」と記述されています。
丸田町交差点近くに残る江戸時代の道標には「西 矢場地蔵 おからねこ」の名前が定着していたことが分かります。


なぜ大直禰子神社は「おから猫」と呼ばれるのか
「おから猫」という不思議な名前には、古くから複数の説があります。どれが正しいと断定できる史料はなく、『尾張名陽図会』『前津旧事誌』『名古屋市史』などにも複数の伝承が紹介されています。
ここからは『尾張名陽図会』、『前津旧事誌』の記述を確認しながら由来を紐解いていきましょう。
『尾張名陽図会』には「おから猫」の段と「鏡御堂」の段に以下のような記述があります。
・おから猫
むかしおからねこといふ所は鏡の御堂の事なり。(中略)その中央には本尊も無くして、小さき三方の上にこまいぬの頭一つを乗せたり。世におこまいぬをおから猫といふ異名をつけたりとぞ。
・鏡御堂
その傍に大なる古榎の大樹ありて、枯れくちはててその根がかりのこれるをおからねとよび、またはおからねことも言ひたり。
次に『前津旧事誌』の記述を確認してみましょう。
三宝の上に高麗犬を載せありしかば、里人これをお唐犬と称せしが、後転じて御唐猫となれりともいふ、最も滑稽なるは此処の大榎が根部空洞となれるため、お空根子といふといへる蓮城亭随筆の説なるが、いづれにもせよ此称呼は古へより存し、宝暦頃の地図にも「オカラネコ」を以て出せり(中略)明治の末年頃に若原敬経は奈良にある大直禰子神社を春日三輪の両社と共に遷せるものにして、おからねこは大直禰子の訛れるなりとの新説を唱へ、氏子其他これに同ずるもの多かりしかば、四十二年四月今の名に改め、春日神社の末社として奉斎することとなれり。
①おから猫は「お唐猫=狛犬」が由来であるとする説
1つ目は『尾張名陽図会』『前津旧事誌』に記載されている説です。
は鏡御堂と呼ばれたお堂の中に狛犬です。、狛犬を「お唐犬(おからいぬ)」と呼んでおり、それが転じて「お唐猫(おからねこ)」になったとされています。
「唐」は外国から伝わったものを意味する言葉で、「唐犬」は狛犬を指したと考えられています。
②「お空根子(空洞になった榎)」が由来であるとする説
2つ目も『尾張名陽図会』『前津旧事誌』に記載されている説です。
鏡御堂のそばあった根だけが空洞になった大きな榎から「空根子(からねこ)」と呼ばれ、それが「おからねこ」になったとされています。
③「オオタタネコ命」が訛ったことに由来するという説
3つ目は『前津旧事誌』に記載されている説です。これは明治以降に生まれた説でしょう。
詳細の紹介は次の段落に引き継ぎます。
「おから猫」は明治時代に「大直禰子神社」という名称がつけられた
明治四十二年、この神社は「於加良根子神社」から「大直禰子神社」へ改称され、「おからねこ」は「大直禰子(おおたたねこ)」が訛ったものであるという説明がされるようになりました。
明治時代は神道を中心とした国家運営を目指して、全国の神社の独自の由緒や仏教等に関係する部分が排除された時代でもあります。
かつてはご祭神を猫と勘違いする者も多かったようで「由緒を正しく伝えるため」という事情、また「おからねこ」という独自の信仰を認めず「オオタタネコ神」という『古事記』・『日本書紀』に登場する神を御祭神と改めるために改称したという事情もあるのではないかと考えます。
猫との縁が残っている大直禰子神社
大直禰子神社は猫の神様をお祀りする神社ではありません。
しかし、「おから猫」という長く呼ばれていたことで、「家出した猫の無事を祈る」といった民間信仰があったことが残されています。
地域の信仰として猫とのご縁が育まれてきたのでしょう。
持統伝統の行幸で立ち寄った跡か
『尾張名陽図会』にはこのような説が紹介されています。
ある説には、往古この地は老人の咄に行幸の御車もたちしその跡に社をたつといふ。愚案ずるに、むかしより左有ることをしらず。しかはあれど、持統天皇三河国・尾張国へ御幸あり。もしこれ等に拠とせば佳ならん。三州には宮路山とて行幸の跡定かしきに、本州にはその御旧跡をしらず、これもその跡ならずや。
上記の史料は、おから猫を持統天皇の行幸の際に御車が立ち寄った跡であるという説を紹介しています。この説について、持統天皇が三河・尾張国の行幸の際に、三河国には御車が立ち寄ったとするという記録はあるが、尾張国にはないため、おから猫がその跡だということを考えられると補足しています。
当時から、おから猫の創建については様々な説が挙げられていたことが分かります。
まとめ | 大須にひっそりと鎮座する
大直禰子神社は大須の中でも目立つ神社ではありません。
しかし、
- 三輪神社との信仰のつながり。
- 「おから猫」という民間信仰。
- 明治時代の神社史
これらが一つの神社に重なっています。
三輪神社をお参りした後に大直禰子神社へ足を運ぶと、「神様をお祀りする人」である大田田根子命まで信仰がつながっていることに気付くはずです。
大須を歩くなら、ぜひ見過ごさずに立ち寄っていただきたい神社の一つです。
次章予告|春日神社 ― 前津の鎮守と鹿島・香取の神々
次章では、大須・前津地区の鎮守である春日神社をご紹介します。
- 春日大社との関係
- 中臣氏・藤原氏と春日信仰
- 春日造の社殿
- 名古屋では珍しい「狛鹿」
- 女性の信仰を集めた神社の歴史
あなたの由緒書きと『尾張名所図会』『前津旧事誌』をもとに、神職の視点で詳しく解説します。