豆知識

【伊勢神道とは】神宮(外宮)の神主 度会家行が大成した伊勢神道の特徴と内容・主張をわかりやすく解説

鎌倉以降、伊勢の神宮では外宮の神主を中心に伊勢神宮と呼ばれる独自の神道観が発展していきました。伊勢神道の発展には政治体制の転換や内宮外宮間の関係性の緊張化など様々な要因が絡み、また仏教・儒教・道教の思想も取り入れていることから古代の神道説と比べてかなり複雑な考え方となっています。

今回は中世以降盛んに唱えられた伊勢神道について紹介していこうと思います。

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伊勢神道とは鎌倉時代に伊勢神宮、特に外宮の祠官が唱えた神道説で度会神道や外宮神道とも呼ばれる

伊勢神道とは伊勢の神宮、特に外宮の祠官である度会氏が中心となって唱えた神道説のことで、度会神道や外宮神道とも呼ばれます。伊勢神道は朝廷や幕府から何かと優遇されがちな内宮に対抗するために外宮の神職が唱えたものであり、外宮が内宮と同等もしくは優位な立場にあるということを示すための教説であると読み取ることもできます。

具体的には外宮の祭神である豊受大御神は古事記で最初に現れた天之御中主神や日本書紀で最初に現れた国之常立神と同一と説明していることが挙げられます。

 

伊勢神道の成立過程と歴史について「平安時代中期の律令体制崩壊から鎌倉時代の神祇信仰の興隆」

伊勢神道は平安後期、鎌倉以降発展した神道説ですが、この神道説が唱えられるようになっていったのにはいくつかの理由が挙げられます。今回はその理由を3つに分けて紹介します。

 

伊勢神道の成立理由

①律令体制及び公地公民制の崩壊

奈良時代には律令体制という朝廷を中心とした国づくりが行われ、すべての土地と人民は国家の物とする公地公民制が執られていました。公地公民制とは国家が国民に土地を与えてそこから税を徴収する方法を指します。式年遷宮を含む伊勢神宮の運営資金は公地公民制によって集められた公費で賄われていたのです。しかし、時代の変遷と共に公地公民制や律令体制の崩壊が進み武士の世の中へと変わっていくと伊勢神宮は次第に国家的な権威を失っていき経済的基盤が揺らぐ状況に陥りました。国家からの支援を失った神宮は資金調達のために独自に動かざるを得なくなり、領主への働きかけを活発に行うようになりました。この時、熊野などの他の神祇信仰に対抗した神道説を説くことで神宮の権威を保つことが必要となり伊勢独自の神道説が唱えられるようになったと考えられます。

②元寇

鎌倉時代に2度にわたる元軍による侵攻を経験しました。初の本格的な外国からの侵略に当時の日本は苦戦を強いられましたが、結局神風が吹き元軍は壊滅的な打撃を受けたと伝えられています。

神風が起こった理由を日本が神の国だからとの解釈が広まっていた中で、度会氏は風宮の神威を掲揚して神国思想を体系化していきました。

③両部神道説の展開

平安時代ごろから天台宗や真言宗が興隆し、仏教側の立場から神道を説明するようになりました。天台宗の総本山である比叡山延暦寺は日吉大社、真言宗の総本山である高野山金剛峰寺では丹生都比売神社等と密接な関係を持ち、それぞれ山王神道と両部神道という独自の神道思想を唱えていくようになりました。これに対抗して伊勢の神宮では独自の神道説を唱えるようになり、伊勢神道も両部神道の影響を受けている部分もあります。

 

伊勢神道の根本を示した古典『神道五部書』

鎌倉時代になると伊勢神道の根本教典として「神道三部書」「神道五部書」が著されました。「神道三部書」とは『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』『豊受皇太神御鎮座本記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』を指し、60歳未満の者は見ることができない秘書とされ、ここに『造伊勢二所太神宮宝基本記』『倭姫命世記』のを加えて「神道五部書」としています。いずれも奈良時代の作とされていますが、実際は鎌倉時代に度会氏著したものと考えられています。

さらに、ここに『天口事書』など7書を加えて「神道十二部書」といい、これらは宮川より外に出さない禁河の書と重んじられていました。

 

以下、「神道五部書」の特徴を簡単に述べます。

『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記):内宮外宮の社殿の造営や形について説明した書

『倭姫命世記』:倭姫命の巡行と神宮の鎮座について記した書

『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記):神鏡の祭祀を中心に伊勢神宮の由緒を記した書

『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記):外宮の沿革と両宮の関係を述べ外宮の祭儀を説明した書

『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記):内宮外宮の祭神と鎮座について述べた書

ちなみに久保田収氏は『造伊勢二所太神宮宝基本記』が先に成立し、その文を参考に『倭姫命世紀』が成ったとされています。さらに、これら二つをを参考にして『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』が成り、そこから『豊受皇太神御鎮座本記』と『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』が成ったと説明しています。

 

【伊勢神道の教説の特徴】清浄・正直の重視や二宮一光・老荘思想・陰陽五行説などを取り入れて教義の展開

ここまで伊勢神道の概要をお話してきましたが、ここからはその内容についてもう少し深堀して紹介します。

外宮の優位性の説明と二宮一光、老荘思想・陰陽五行説ついて

両部神道では宇宙には金剛界と胎蔵界という二つの世界がありここにはそれぞれ大日如来がいるとされています。胎蔵界の大日如来は豊受大御神の本地であり、金剛界の大日如来は天照大御神の本地であるとして外宮内宮を解釈します。

このように対の関係にあるということを前提として「神道五部書」では豊受大御神が御食津神であり、ミは水で陰陽五行説の水徳、すなわち万物の根源である水に通じるとして天之御中主神と同一とし、日の神である天照大御神を地祖として両神の関係を火水・日月・天地と説明するようになりました。

さらに、度会氏の遠祖を天牟羅雲命から伊勢の初代国造である造天日別命とし、その子である大若日子命が内宮鎮座に際して大神主職に任ぜられてから外宮鎮座までは内宮で奉仕したと主張しています。

 

伊勢信仰の地位向上のための教義展開

鎌倉時代の幕府の事績を記した『吾妻鏡』では度会光倫が源頼朝に働きかけを行ったという記述があります。律令体制が崩壊し、武士の世の中へと変遷していく中で国家的権威を失っていった神宮では崇敬者の確保のために様々な教義を展開し、有力者の支持を獲得することを目指していきます。

そのために仏教や儒教・道教の用語を用いつつ伊勢における信仰を説明する一方で、神国思想の強調や仏教を排する内容を記すことで神道の国家的地位を向上させ、また神と天皇の合一を説くことで神宮の地位の向上を図りました。

 

清浄・正直について

伊勢神宮にはタブーとされる事項が多くあります。これは神宮という清浄な場所での神秘的性を体現するために取り入れられたもので、特に仏教に関しては9世紀の『皇大神宮儀式』の内容を引き継いで「神道五部書」でも厳格に規定されており、『造伊勢二所太神宮宝基本記』では「以清浄為先、以真言為宗」として清浄を重視しています。

さらに神秘性の体現のために「正直」の心も重視されました。『造伊勢二所太神宮宝基本記』や『倭姫命世紀』には「神垂以祈祷為先かみはたるるにねぎごとをもってさきとなし冥加以正直為本くらきはくはふるにしょうじきをもってもととなせり」という記述がありますが、これは神の恵みを受けるためにはまず祈祷が第一で、神慮が加わるためには正直の心をもつことが根本である」と訳され、祈祷と正直によって神の恵みを受ける事ができることを意味しています。

このように清浄と正直を中心とした倫理観と道徳感を教義として展開し、祭祀の厳修や斎戒を重視する思想が説かれました。

 

政治的内容について

前述のように豊受大御神が根源神で国常立尊や天之御中主神と同一視されており、外宮の神は天照大御神よりも上位もしくは同格の神ということが説かれました。

また、神国思想の強調や仏教を排する内容を記すことで神道の国家的地位を向上させ、また神と天皇の合一を説くことで神宮の地位の向上を図りました。

 

 

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