豆知識

伊勢の神宮で行われる神御衣祭の起源と内容を神祇令義解を用いて解説!読み方は「かんみそさい」

伊勢の神宮では毎年1500もの祭祀が行われており、その中でも重要な祭祀として神衣祭が挙げられます。

今回は伊勢の神宮で古代から行われている神衣祭についてわかりやすく解説していこうと思います。

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神衣祭は内宮御正宮と荒祭宮で5月と10月に行われる更衣の祭祀

神衣祭は皇大神宮(内宮)とその別宮である荒祭宮に和妙にぎたへと呼ばれる絹織物と荒妙あらたへと呼ばれる麻織物を供進し古い衣と取り換える更衣の神事で、新しい御衣を奉ることで天照大御神の御神威がさらに増すことを願うものです。旧暦の4月と9月に行われており、現在は5月と10月の14日に執り行われます。

皇大神宮では天照大御神を 荒祭宮では天照大御神の荒御魂をお祀りしており、豊受大御神等をお祀りする豊受大神宮(外宮)では行われません

 

養老令義解、公事根源の神衣祭に関する記述の原文とその内容

ここで令義解から神祇令の内容について確認していきます。

孟夏・季秋 神衣かんみそ

謂伊勢神宮祭也、此神服部等斎戒潔斎以三河赤引神調糸織作神衣、又麻績をみむらじ等績麻以織敷和うつはた衣以供神明故曰神衣。

【書き下し】謂、伊勢の神宮の祭りなり。此れ神服部等斎戒潔斎を以て三河赤引の神調の糸を織り神衣を織る、また麻績連等麻を績み以て敷和の衣を織る、以て神明に供す、故に神衣という。

孟夏とは旧暦4月、季秋とは旧暦9月のことです。

ここから読み取れるのは旧暦4月と9月に伊勢の神宮である行われる神衣祭には神服部らが斎戒して三河の赤引の神調の糸を以て御衣を織り、麻続連らが麻を績んで敷和御衣を織り、神宮に供進する。故に神衣というということです。皇大神宮と荒祭宮に奉られる御衣はそれぞれ和妙衣 24疋 荒妙衣 80疋、和妙衣 12疋 荒妙衣 40疋です。

また、季秋の神衣祭には朝廷より五位以上の幣帛使を遣わすということが記されています。

 

さらに室町時代に一条兼良により記された『公事根源』にも

伊勢神衣祭 十四日 麻続の連といふ氏人、麻をうみて敷和の衣を織て神明に奉るを神みその祭とは申也

とされていることからも神衣祭の内容を確認できます。

神衣祭の起源・根拠は高天の原の古事による

神衣祭は高天の原での機織りが根拠になっていると考えられます。

天照大御神とスサノオ命の誓約の条で、誓約で身の潔白を証明したスサノオ命が調子に乗って乱暴を働いた場面で高天の原での機織りが行われていたことが読み取れます。

以下その一文を引用します。

【原文】猶其悪態不止而転。天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、穿其服屋之頂、逆剥天斑馬剝而、所堕入時、天服織女見驚而、於梭衡陰上而死。

【書き下し】なおその荒ぶる態止まずて転たり。天照大御神忌服屋に坐して神御衣を織らしめたまふ時に其の服屋の頂を穿ち天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕とし入るる時に、天の服織女見驚きて梭に陰上を衝きて死ぬ。

上記の内容はスサノオ命が高天の原で神御衣を織る小屋にて乱暴を働いたときに、機織りをしていた女性が驚いた拍子に機織りで使う道具を女陰に刺して死んでしまったということを示しており、この記述から高天の原でも機織りが行われていたことが理解できます。

また、古語拾遺では岩戸隠れの際に天羽槌雄神が文衣を織り天柵機姫神が神衣を織ったという記述も残されています。

 

神服織機殿神社・神麻続機殿神社での神御衣祭に向けた和妙・荒妙作り

三重県松阪市には神服織機殿神社かんはとりはたどのじんじゃ神麻続機殿神社かんおみはたどのじんじゃという二つの神宮の所管社があり、二つのお社を合わせて両機殿と言います。両機殿が鎮座する地はかつては服部氏や麻続氏の拠点とされており紡績が盛んに行われており、神服織機殿神社・神麻続機殿神社ではそれぞれ絹と麻から和妙・荒妙がつくられます。

どちらの所管社にも八尋殿という機織りを行う機殿が付随しており、現在も神衣祭に奉られる和妙・荒妙が織られます。

ここからは神服織機殿神社・神麻続機殿神社について詳しく解説していきます。

 

神服織機殿神社(三重県松阪市)の御祭神と由緒

神服織機殿神社は服部神部の祖神である天御桙命あめのみほこのみことと奉織工の祖神である天八千々姫命あめのやちぢひめのみことを祭神としていると言われています。

神服織機殿神社は「下館さん」「下機殿」と呼ばれており、この辺りかつては服部氏の拠点となっていました。創建の由緒については『倭姫命世紀』で「垂仁天皇の御代、現在の地に神宮が定まる前に飯野高宮に服織社があったとされており、また神宮の御鎮座の際に宇治に機殿を建てて天棚機姫神の孫である八千々姫命に和妙を織らせたとあり、これらを天武天皇の御代に紡績が盛んだった現在の松阪の地に遷した」とされています。

皇大神宮と荒祭宮に奉る和妙の奉織は4月と9月の末日に神宮の神職が参向し、神服織機殿神社の斎館で潔斎したうえで翌1日から神御衣奉職始祭が執り行われ、神職は13日まで斎館に留まります。

 

神麻続機殿神社(三重県松阪市)の御祭神と由緒

神麻績機殿神社は麻続氏の祖神である天八坂彦命あめのやさかひこのみことを祭神としていると言われています。

神麻続機殿神社は「上館さん」「上機殿」と呼ばれており、現在は神服織機殿神社とは2キロほどの距離がありますが元々は同じ場所に鎮座していたものの、やがて大垣内町の神服織機殿神社と井口中町の神麻続機殿神社の2社に分かれたと考えられています。

こちらのお社では皇大神宮と荒祭宮に奉る荒妙の奉織は5月と10月の1日に神服織機殿神社での奉仕を終えた神宮の神職が訪れ、神麻続機殿神社での神御衣奉織祭を行います。

 

神御衣奉織鎮謝祭と神宮への奉納

両機殿での機織りを終えると5月・10月の13日午前8時から両機殿に幣帛を奉り、滞りなく奉織ができたことを感謝する神御衣奉織鎮謝祭が執り行われます。

これを終えると和妙・荒妙は内宮に送られ、神御衣祭に向けた準備が進められていくことになります。もともとは内宮への運搬は権禰宜と宮掌が辛櫃に収めて歩いて運搬していましたが、現在は車で運搬することになっています。

 

以上が神宮で執り行われる神御衣祭の内容です。

神御衣祭は10月17日に行われる神嘗祭にもつながる祭祀であり、神宮において非常に重要な祭祀であるということが分かります。

 

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