豆知識

【神主が教える】神道はこう広まってきた「神道教化の歴史」

 

教化というのは教え導くことによって価値観を内面化させることを言います。

神道は積極的な教化を行うことは少ないですが、歴史的に見ると時代によっては若干の教化活動が行われていました。

たむ
今回は神道教化の歴史について解説するよ!

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中世・近世の神道教化

平安時代に仏教の信仰集団として現れた」が、鎌倉時代になり熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に取り入れられて民衆に浸透していきました。

講組織は神徳の周知等により参詣の促進に貢献し、当時から一般的だった地縁・血縁に基づく氏神信仰とは異なる新しい組織の形成が形成されました。

これがある程度大規模な神道教化の始まりと考えます。

 

室町時代になると吉田神道が成立します。

吉田神道では神道を根本し、そこに儒教・仏教・道鏡・陰陽道などを習合させたものであったことからとっつきやすく、多くの人に受け入れられていくことになり、

民衆の他、朝廷や幕府からも採用されたことで全国の神社が吉田神道の下に入ることになります。

吉田神道では神職養成に力を入れてるとともに、江戸時代以降は神社を拠点とした吉田神道では積極的な教化活動を行っていたことも吉田神道が広く一般に浸透したことの要因の一つであり、教化活動では「三社託宣」という伊勢・石清水・春日の神の託宣という形式で正直清浄慈悲を説きました。

また、江戸時代には神道を儒学・朱子学の観点から解釈する吉川神道垂加神道が現れ、中には尊皇主義商人道徳を取り入れて交流していくものもありました。

この時期にもう一つ興隆していったのは本居宣長復古神道です。復古神道では『古事記伝』という『古事記』の注釈書を用いるなど、国学を取り入れた解釈を重視し、古来からの日本の姿を読み解いたうえで神々の恵みを強調して、多くの支持者を獲得していきます。また、弟子である平田篤胤が神葬式を成立させ、祭政一致論を講じるなどして復古神道を発展させていきました。

明治時代の神道教化

明治時代になると神道を基盤とした国家運営が行われ、国を挙げた大規模な神道教化が行われます。

明治2年(1869)から明治17年にかけて大教宣布運動は国が行った復古神道の教化活動の一つで、キリスト教の排撃、新政府の指針と明治維新の意義を周知させるという役割も担いました。

大教宣布は宣教使という役職が中心となって行いましたが、宣教使は後に教導職と改められました。教導職には神官(国から神に仕えることを命じられた者)や国学者、僧が任命され、教育機関として東京に大教院、地方に中教院、小教院を設置し、「三条の教則(=敬神愛国、天理人道、皇上奉戴)」に基づき説教を行っていました。

この制度は神道教化にわずかな成果を上げましたが、明治15年から本来、教化の最も主要な担い手だったはずの神官を教導職との分離させ、神官による説教を禁止したことなどから崩壊を迎えました。

教導職の廃止後は教員による神道教育を重視しており、これの方針が第二次世界大戦まで続きます。

 

現代の神道教化

戦後になると、神道の立ち位置が急激に変化します。

学校での教育としての教化活動は行われなくなり、教化の場は神社に移りました。

戦後まもなくは神社は地域の公の場として機能しており、現在でも同様に機能している神社もありますが、地域住民の流動性が上がったことから氏神がどこかすらわからない人が増えてきています。

また、現在は第二次世界大戦を経験した世代から数えて3世代目もしくは4世代目となっており、神道について学ば機会がない人々にとって神社というものがどのようなものか、日本という国とどのような関係を持っているのか知らないというのは仕方がないことかもしれません。

現在は全国の神社のうちほとんどが神社本庁に属しており、神社本庁が掲げる理念に基づいて、神社がそれぞれ教化活動を行うことになっていますが、神社離れが進んでいるにもかかわらず神社での教化がメインとなっている現状に矛盾は感じます。

私たちのように神社で神様に仕える者は現在非常に困難な立場にあると実感していますが、神社というものは日本という伝統ある国家にとってアイデンティティの一つでもあって、これが国民意識の最も重要な要素となりえると考え、古来から続く日本人の精神を広めるために努力していきます。

 

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