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閑院宮家はなぜ創設されたか ~現在の天皇家との関係~ 

江戸時代後期、118代後桃園天皇には男の子が生まれず天皇家滅亡の危機に瀕していました。このピンチを打開し次の天皇を輩出したのが閑院宮家でした。閑院宮家は皇統の継続に重大な役割を果たした宮家です。近い将来想定される皇位継承問題のために閑院宮家について学んでみましょう!

 

たむ
今回は「閑院宮家は誰がどんな理由で創設したのか」「閑院宮家と現在の天皇家との関係」について説明していきます。

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閑院宮家とは?わかりやすく解説

閑院宮家とは18世紀に新井白石によって創設された宮家です。

江戸幕府第6代将軍 徳川家宣のブレインであった新井白石は将軍の権威を高めるために正徳の治と言われる政治を行い、その一環として閑院宮家の創設を行いました。

当時の皇族は自分に皇位が回ってこないとわかるとすぐに出家してしまっており、皇族が減っていくと当然皇位継承問題につながってしまうため新井白石はこれを問題視していました。また、当時存在していた伏見宮・有栖川宮・桂宮は第118代後桃園天皇とは血縁関係が遠く、もし皇位継承問題が生じた場合は血縁の近い者が皇位を継承するのがふさわしいと考えたことも理由の一つです。

なぜ新井白石がこのような政策を行ったのかというと、将軍とは天皇によって任命される役職だからです。天皇の権威を維持することが将軍の権威の向上につながると考えたのです。

 

現実化した皇位継承問題

冒頭でも説明した通り第118代後桃園天皇には男の子がおらず後継に困っていました。後桃園天皇は後継が決まらないうちに突然崩御してしまい、後継者の選定のために崩御の発表が実際の崩御日から遅れ、崩御後も在位期間が続いたとされています。

この緊急事態に白羽の矢が立ったのが伏見宮貞敬さだよし親王閑院宮美仁はるひと親王師仁もろひと親王です。血統の担保のために次期天皇には後桃園天皇の娘 欣子よしこ内親王を后につけたいと考えたため、内親王と年が近く未婚の師仁親王が選ばれ光格天皇が誕生しました。

 

現在の天皇家との関係

今上天皇は光格天皇の7世孫にあたります。(光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇→大正天皇→昭和天皇→上皇→今上天皇)

光格天皇は新井白石が閑院宮家を創設したことで誕生した天皇で、光格天皇がいなければ今の皇室はなかったということになります。閑院宮家は皇統の継続に重大な役割を果たしたのです。

 

まとめ

閑院宮家は新井白石が幕府の威厳を高めるために創設した

閑院宮家から御桃園天皇の後継が選ばれ光格天皇が誕生した

今上天皇は光格天皇の直系血族である

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