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宗教文化に関するまとめ それぞれの宗教・宗派の説明と各国の状況について

マックス・ミュラーの言葉に「たった一つの宗教しか知らないものは、宗教を知らないものである」というものがあります。ということで今回は私が勉強してきたことの記録ノートではありますが、学んできた験としてここに

 

総論

創世神話:この世界の起源や人類の誕生について 英雄神話:神々や偉大な英雄の生涯 民俗宗教:社会集団の中で次第に形成された信仰形態

創唱宗教:創始者がいて、その人が説いたことを中心に教えが整えられたもの。民俗宗教を基盤にして形成されており民俗宗教よりは新しい

ローマ神話:ジュピター マース ヴィーナス

ギリシア神話:ゼウス(天上界からプロメテウスが火を盗んだことに怒った) マルス アフロディーティ

インド神話:ヴィシュヌ シヴァ ブラフマー ハヌマーン(ラーマーヤ―ナ―に登場)

シュメール・メソポタミア神話:ギルガメッシュ

北欧神話:ロキ(いたずら好き)

 

三大宗教:キリスト教 イスラム教 仏教

五大宗教:キリスト教 イスラム教 仏教 ユダヤ教 ヒンドゥー教

世界の信者の割合 キリスト31%(23億人) イスラム23%(18億人) ヒンドゥー15%(11億人) 仏教7%(5億人) ユダヤ0.2% 無宗教16%(11.5億人)

1910年と比べてイスラムの割合が最も増えた。また、無神論者は1億人に増加している。

日本の割合 仏教13%キリスト教1% イスラム0.1% 無宗教は7割

ユダヤ教

聖典・教典

タナハ(キリスト教でいう旧約聖書) 紀元前4世紀にヘブライ語で書かれる

タナハ冒頭のモーセ五書を永遠に妥当する神の啓示としトーラーと呼ぶ。その中には613戒がありミツヴァと呼び、十戒(偶像崇拝や神を描くことの禁止、神の名をみだりに唱えることの禁止)もここに含まれる。これを基本にして細則やラビによる新たな法規を総称してハラハー(ユダヤ法)と呼ぶ

モーセ五書の内容は創世記「天地創造→アダムとイヴ→カインとアベル→ノアの箱舟→バベルの塔→アブラハム(最初の預言者)の契約(ユダヤ人は神に選ばれた民族・カナンの地を与えられる)→イサクの物語→ヨセフの物語」→出エジプト記「モーセのエジプト脱出とシナイ山での神との契約(十戒を授かる)」→レビ記→民数記→申命記からなる。これらをトーラーという。

タルムードというモーセが伝えた口伝の聖典にはバビロニアタルムードエルサレムタルムードがある

 

宗教施設/聖職者

シナゴーグ/ラビ

ラビは結婚できる

16世紀以降ラビの専業化が進む

 

分布

イスラエルとアメリカ(ニューヨーク州)に多い

 

教義

ヤハウェを唯一の神としてアブラハムの子孫であるユダヤ人に伝えられたヘブライ語聖書を先祖代々受け継ぐ=ユダヤ人とユダヤ教は一体であり、神はユダヤ人のみを救済する。

始祖はモーセで父祖はアブラハムである。

ユダヤ教徒の間で「律法」が重視されるようになった理由としてユダヤ人の離散(ディアスポラ)の歴史がある。ユダヤ人は66年にローマ帝国に反乱を起こしますが鎮圧される。70年にユダヤの神殿が破壊されユダヤ人は地中海世界を中心に離散した。このような環境で従来の神殿祭儀を維持することができなくなり、律法の解釈を重視するようになった。
モーセ五書は書かれたもので「成文トーラー」と呼ばれる。神殿を失ってからのユダヤ教徒はラビを中心に日常生活の法、慣習、伝承を成文トーラーから導き出し口承で伝えた。これは「口伝トーラー」と呼ばれ成文トーラーと同等に扱われる。

カシュルート(英語ではコ―シャ)という食べ物に関する清浄規定を守る。これはモーセ五書の申命記とレビ記に書いてある。食べれるものはコーシェルという

ex.豚、ひれやうろこのない魚を食べない=ウナギを食べない、エビ、貝を食べない、肉とミルクを同時に調理しない、食用が許されるのは蹄が割れていて反芻する動物、食用が許される昆虫はバッタ類のみ

メズーザー(門柱)という建物の入り口に設置されるものに手を当てて祈る

 

特徴等

地中海東海岸で紀元前に成立した。

ユダヤ暦太陽太陰暦に基づいて行われる。ユダヤ暦は天地創造を起源とし、西暦に3760年を足したものが年号となる。19年に7回、閏月を設けて、太陽暦との調整を行う。閏年は1年が13ケ月。

安息日:創世記の神が7日目に休まれたとする部分や十戒を根拠として安息日を徹底的に守る。聖書の「夕べがあり、朝があった」という記述から1日は日没から始まると考える(ユダヤ暦では1日は前日の日没から始まり当日の日没で終わる)。したがって、金曜夕方から土曜日夕方を7日目と数え安息日とする。安息日にはシナゴーグでトーラーを朗読する

金曜日の日没前に煮立たせてから燠火にかけて一晩中低温調理するチョレントや金曜日の日没前に調理して冷めたものを食べるゲフィルテ・フィッシュが生まれた。何が休むべき仕事に当たるかも決められており、現在では39種類の仕事が挙げられる。結び目をつくる、種をまく、火をつける、文字を二文字以上書く、1つの場所から他の場所に物を運ぶことなどが禁じられているが、その解釈は時代によって異なる。 火をおこすことは仕事に当たるが、電気が使われる時代になると電気をつけることがそれに相当すると考えられるようになる。1キロ以上歩いてはいけない、食事の支度もできない。

人生儀礼:男児の性器になされる生後8日目に行なわれる割礼は神との契約の印。男児は3歳よりトーラーを学び始め13歳でバル・ミツヴァ(成人式)を迎える。誕生日の週の安息日にはトーラーの一人分の朗読を担当する。

男性はキッパという小さな円状の帽子をかぶる

各国に散らばるユダヤ人同士が争うことへの疑問からユダヤ人国家をつくろうというシオニズム運動でイスラエルが建国されたが、当初の国連の分割案より支配地域が広げられたことでパレスチナ問題が起きた

 

祝日

ロシュ・ハシャナはユダヤ教の新年で7月1日。この月はもっとも聖なる月とされる。この日から10日間ユダヤ教徒は悔い改めの期間に入り、最後の日「ヨム・キプール」には24時間の断食を行う。

スコットは新年の14日後に行なわれる。シナイ山で放浪生活を送った先祖を思いつつ、ベランダや庭などに仮庵を作ってその中で食事や宿泊をする楽しい祝日。

ペサハ(過越の祭)は春分の後の満月の日から1週間続けて行われる。神がイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放したことを祝う祭りで酵母の入った食品は口にせず、この日食べる特徴的なパンをマッツァーという。

シャブオート(7週の祭)はペサハが始まる日の翌日から起算して49日目。モーセが十戒を受け取ったことを記念し、キリスト教のペンテコステ(聖霊降臨)と同時期の西暦5~6月に祝われる。

 

キリスト教

聖典・教典

旧約聖書(ヘブライ語聖書)+新約聖書ギリシャ語

新約書にはイエスの言行を残した4つの福音書がある(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)ヨハネの黙示録はイエスの言行とは関係ない

イエスは大天使ガブリエルによる受胎告知で生まれ、ユダヤ教を改革する。信じれば救われると主張するが迫害され、ユダの裏切りでローマ帝国に引き渡されて死刑になるも三日目に復活。

ナザレのイエスが起こした様々な奇跡を信じ、更に彼を旧約聖書に言及されている、キリスト(救い主)として信仰する宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自らゴルゴタの丘で十字架にかけられるも生前の予言通り復活し弟子たちの前に姿を現したことから、イエスは救い主(メシア)であるという信仰が成立した。

歴史学的にはイエス誕生の地はベツレヘムではなくガリラヤ湖近郊のナザレ。最初の弟子はペトロ。

聖職者

カトリック:神父 男性限定/妻帯はNG

プロテスタント:牧師 男女○/結婚もできる

オーソドクス:神父 男性限定/原則独身だが条件によっては認められる

 

教義

アガペとは神から人間への無限の愛

安息日は日曜日

レビ記の「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」という章句から隣人愛を重視する。隣人愛とは自分のごとく他人を愛せという教えであり自己愛の全面否定ではない

 

祝日

サンクスギビングデー(感謝祭):七面鳥を食べる

イースター(復活祭):春分の日の後の満月から数えて最初の日曜日

クリスマス(降誕祭):4世紀ごろに一般化。ただしイエスの正確な誕生日は不明。サンタクロースのモデルは4世紀小アジア司教の聖ニコラウスで、クリスマスツリーは宗教改革後のドイツや北ヨーロッパが起源でゲルマンの自然崇拝とつながったと言われる。

 

特徴等

地中海東海岸1世紀に成立した。ローマ帝国に伝わったキリスト教は64年のネロ帝によって迫害され、3世紀半ばには国家の方針としてキリスト教が弾圧されるようになった。特に皇帝崇拝が強化された帝国末期のディオクレティアヌス帝による迫害(303年)は大規模なものだった。しかし、この頃には市民や軍人などにもキリスト教が広がっており、もはやキリスト信仰を押しとどめるのは困難になっていたため、313年にコンスタンティヌス帝が出したミラノ勅令(寛容令)により、キリスト教の信仰は合法化され、380年にはキリスト教がローマ帝国の国教とされ、392年に、ミトラ教や太陽神信仰が禁止されるなど、ローマの宗教状況は大転換を遂げた。この時、キリスト教にはローマ、アレクサンドリア、アンティオキア、コンスタンティノポリス、エルサレムという5つの総主教座があったが、7世紀にイスラム教が勢力を拡大すると、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムがイスラム教の支配下に入り、ローマ(西)とコンスタンティノポリス(東)がキリスト教の二大勢力として残った。1054年にはローマ教会の教皇とコンスタンチノープルの大司教が互いに相手を破門するという事態に陥り、東西教会が分裂した。ただし、このとき突然袂を分かったわけではなく、偶像崇拝を認めるかどうかなどの違いのほか政治的要因から8~9世紀のころまでにさまざまな対立が生じていた。具体的には東の教会はビザンツ帝国という国家機構の一部として組み込まれていたが、西の教会は国家権力の後ろ盾がなく、複数の政治権力のあいだで保身を図らねばならなかった。分裂以後、ローマ教会は世俗権力とは別の権力を持つようになったが、東の教会は皇帝の権力と密接な関係を保り、それが各地に広がるとそれぞれの国や民族ごとに正教会ができた。

11世紀半ばにカトリックと東方正教会に分裂。その後の16c宗教改革でプロテスタントができ、ヨーロッパ北部と西部に広がる。

キリストをどう解釈するか、325年の第一ニケア公会議以降、たびたび公会議が開催 「イエス・キリストは真の神にして真の人である」とする神人両性論や、「父と子と聖霊は等
しい神性を有する唯一の神である」とする三位一体論が示される。

三大聖地:エルサレム(受難の地)・ローマ(カトリックの本山)・サンティアゴコンポステーラ(ヤコブゆかりの地) 加えて19c後半から聖母マリアの出現を機にフランスのルルドがカトリックの聖地とされた

ピエタ:死んだキリストを抱えるマリアの像

アガペー:神から人への見返りを求めない無償の愛

かつてはユリウス暦を用いていたが現在はグレゴリオ暦を用いる。カーニバルとイースターは毎年日付が変わる

修道会ごとに教義が違うわけではない

目からうろこ 豚に真珠

ヨハネによる福音書にはハルマゲドンという地名が現れる。

日曜日はイエスキリストが復活した日

ペンテコステ(聖霊降臨日):十字架にかけられ処刑され3日目に復活されたイースター(復活祭)から50日目に、キリストの弟子たちの上に天から聖霊がくだり、教会が誕生した日

 

カトリック

教皇について

教皇はイタリアとの協約により1929年に独立した世界最小の国であるバチカン市国の首長で、この地はペトロとパウロの殉教の地とされる。初代ローマ教皇ペトロの代理者で世界すべての教会を統括する。サンピエトロ聖堂はペテロにちなんでつけられた。

教皇はコンクラーベという枢機卿の投票で選ぶ。死後に新たな教皇が選ばれる。ただし、教皇ベネディクト16世は生前で辞任した。

2013年からの266代目ローマ教皇フランシスコ(アッシジのフランシスコが由来)はアルゼンチンで初の南米出身者となった。また初のイエズス会出身。初めてアラビア半島を訪問。ヨハネパウロ2世はポーランド出身で「空飛ぶ教皇」と呼ばれ、「アッシジで世界平和の祈りの集い」開催を呼び掛けた

カトリック教会の階位:ローマ教皇→枢機卿→司教→司祭→助祭

教皇庁はYouTubeチャンネルを運営

 

イエズス会やフランチェスコ会、ベネディクト会はローマ教皇の許可を得て設立。

 

特徴等

聖人を通して神に祈りを捧げることがよく行われる。

幼児洗礼が一般で、これは信仰告白を重視するプロテスタントとは異なる

第二バチカン公会議まではカトリックの典礼はラテン語で行われており、日本においてはキリシタン時代の典礼もラテン語だった。

第二バチカン公会議をきっかけに宗教間対話を始める

典礼をミサと呼ぶ

神父だけでなく、修道女(シスター)も結婚が禁じられている

男性修道者は司祭として叙階され聖職者になることが多い

女性はミサでベールをつける

飲酒や喫煙は問題視されない

熱心な者は特別な日に断食・肉食を避ける

11月2日は死者の日として死者の記念

ザビエルはイエズス会のスペイン出身

生まれたばかりのキリストを抱えたマリア像

教区制 教会が地域ごとの単位にまとめられている 日本には16の教区

十字架の切り方 額→胸→左肩→右肩の順

聖地

サンティアゴ・デ・コンポステーラ スペイン 聖ヤコブの墓

シャルトル大聖堂 フランス フランスのゴシック建築 シャルトルブルーとして知られるステンドグラスが有名

聖ヤコブ大聖堂 クロアチア

ケルン大聖堂 ドイツ

プロテスタント

歴史

贖宥状に対するルターの批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついてローマ・カトリック教会から分離した。

プロテスタントは抵抗する人々という意味でカトリック側からそう呼ばれた

 

特徴等

祭壇から説教壇へ=牧師の説教が重要視

①信仰義認:「義認」とは神の前で「義」と認められること。「義」が問題になるのは律法を守ることを大切にするユダヤ教に由来。不義の者でさえ赦す神をただ信じることが重要で、イエス=キリストを信じる信仰だけが救済の唯一の条件でありミサや慈善などの宗教的行為の積み重ねによって救済が約束されるという考え方を否定。信仰告白を重視し幼児洗礼は行わない派もある

②聖書主義:聖人崇拝はカトリック教会が加えたものと考え、聖人崇拝を排除する

③万人祭司:洗礼によって信徒になった人々はすべて祭司であるという考え方。牧師と信者は同格である。全体を包括する聖職者という考えはなく、牧師が教会の全責任を持つ。

十字架にはイエスの像がない偶像崇拝を禁止するが絵画にキリストを描くのは〇

禁酒・禁煙の教派が多い

 

教派

カルヴァン派:救われる人はすでに神によってきめられているという予定説をとる

ルター派

長老派:長老主義は階層的になっている組織形態で、総会(大会)を頂点として、その下位に中会があり、さらに最下部に基本的単位として地域の教会。教会の運営は牧師と共に一般信徒から民主的に選ばれた長老、執事が行い、上位組織である中会、総会には牧師だけでなく長老も参加して教会運営に参画

会衆派:各教会䛿完全に独立し、その教会の上位組織は存在せず、牧師の採用の有無も会衆の意向によって決まる

監督派:監督-長老-執事という階層的な職階を保持し、監督(主教)がそれ以外の役職者を監督するというシステム

メゾジスト派:メソジスト派はイングランド教会司祭のジョン・ウェスレーたちが主導したリバイバリズムによってイングランド教会から分離、独立した教派。カルヴィニズムに反対し、普遍的な救済を説き、救済体験を重視)ホーリネス派は米国のメソジスト派内部において、ウェスレーが説いた「キリスト者の完全」という「聖化」(ホーリネス)体験を改めて重視した教派の総称で、ナザレン教会が最も大きな教団

ペンテコステ派:聖書の『使徒言行録』に記された聖霊によってもたらされる「異言」を救済の証しとする教派。一般に1906年、ホーリネス派の説教師ウィリアム・J・シーモアによるロサンゼルスのアズサストリートでのリバイバリズムが出発点とされている。ペンテコステ派最大の教派はアセンブリーズ・オブ・ゴッド。

 

ミュンツァーは千年王国主義(新約聖書の最後の章「ヨハネの黙示録」第20章にある記述をもとに、イエス・キリストの再臨により至福の千年が訪れると考える。)的なユートピアの実現を目指し、貧困に苦しむ農民たちの側に立って富者を激しく批判し、神の国の到来と財産の共有化を掲げて農民たちの武装反乱を指導した

日本では新渡戸稲造『武士道』を著す、新島襄

 

東方正教会(オーソドクス)

特徴

典礼を奉神礼と呼ぶ

ユリウス暦を用いる。クリスマスはグレゴリオ暦の1月7日。カトリック等のグレゴリウス暦を用いる宗派とは復活祭等の日にちが異なる。

オーソドクスには教皇のような一人の最高責任者はおらず、一国家(あるいは一民族)を単位として教会組織がありそのトップが総主教。トップが大主教あるいは府主教と呼ばれる教会もある。

立体的な聖像の代わりに平面的イコンというモザイク画が崇敬の対象。イコノスタスと呼ばれるイコンの壁があり、イコンの壁の向こう側は聖職者のみが入ることを許されている。

修道院はあるが修道会はない

聖人崇拝・聖母マリア信仰あり

十字架の下に横棒がある

アトス山やメテオラの修道院群

教区制 教会が地域ごとの単位にまとめられている 日本には3つの主教区

聖人を通して神に祈りを捧げることがある

十字架の切り方 額→胸→右肩→左肩の順

 

イスラム教

聖典・教典

旧約書+新約書+クルアーンハディース

クルアーン:天子がムハンマドに与えた神の言葉。イスラム教徒はこれを全て暗記するのが好ましいとされる。啓示の順番は時間通りではない アラビア語で書かれたもののみをクルアーンとして認め、各国のものは注釈書という位置づけ。ムハンマドの生前に人々に書かれたが、現在の形にまとめられたのは没後である。クルアーンとは読誦するものという意味。最小の章は開扉章で礼拝時に読誦する。114章からなるが1つの章の長さは最初が長く跡が短くなる傾向にある。

アラビア半島の住民の大半は遊牧民だったがメッカなどオアシスの周辺には定住民もいた。この時代、アラビア半島の北に広がる地域ではビザンツ帝国とササン朝ペルシアが対立し不安定な状況になっていたため、陸のシルクロードが忌避され、海路、海のシルクロードが選ばれるようになった。アラビア半島の南にあるイエメンの港はインド洋を渡ってくる船を迎え、メッカは隊商貿易の拠点になる。外の世界に開かれた商人の町となったメッカでは、血縁を重視し、部族への忠誠心を軸にした遊牧民の文化に基づいた倫理規範がうまく機能しなくなっていた。イスラムの誕生によって新しい時代のニーズに合った規範や価値観が生まれた。619年、妻ハディージャと育ての親であるおじが亡くなり、この年を「悲しみの年」という

ムハンマドは生まれる前に父を亡くし母も幼くして失くして孤児になり、叔父に育てられたメッカの商人→洞窟で瞑想すると大天使ガブリエルが現れ、教えを授ける→預言者となる→もともとアラブの神は多神教→ムハンマドは迫害されメディナ(ヤスリブ)に遷都(ヒジュラ)(イスラム元年)→メッカに戻り聖地になる→メッカからエルサレムまで飛び昇天

ハディース:ムハンマドの模範的な言行(スンナ)を記録した文書 コーランに次ぐ2つ目の聖典

ただし、ムハンマドは信仰の対象ではない。最後の預言者であり模範的人間。

神が示した道をシャーリアと呼び、人間によるその理解をフィクフと呼ぶ。

 

聖職者

聖職者はいないがイスラム学者(イスラム法学者、神学者など)=ウラマ―がいる

指導者はカリフイマームという

 

教義

唯一神アッラーを信仰する

終末観あり。アッラーに裁かれる

六信アッラー・天使・預言者・啓典・来世・定命(予定)

五行:信仰告白(シャハーダ=証言という意味)・礼拝(サラート)・喜捨(ザカート)・断食(サウル)・巡礼(ハッジ)

信仰告白:唯一神以外に神はないと証言。ムハンマドは唯一神の使徒であると私は証言します」と唱えること。イスラム教に入信あるいは改宗する際には2人のイスラム教徒が立ち会うなかでこの文言をアラビア語で唱える。サウジアラビアの国旗に書かれているのは信仰告白の文言

断食:ムハンマドが山籠もり中に最初の啓示が降りた月が第9月であるラマダン月。ラマダーン月の日没後、最初にとる食事はイフタールと呼ばれ、親戚や友人と食卓を囲む。イスラム教徒にとってラマダーン月は苦しい月ではなく、人と人とのつながりを確認する機会と考える。美しいランタンはラマダーン月の風物詩。断食終わりは祝祭が行われる。病人や妊娠中の女性などは断食を免除されるが代わりに後で同じ日数を行うか自由喜捨を選択する

喜捨:財産や所得で額が決められており、財産のうち2.5%を喜捨する

礼拝:ファジュル(夜明け)、ズフル(正午:太陽が南中した時)、アスル(午後:太陽が45度の高さになった時)、マグレブ(日
没)、イシャー(夜:太陽の残照が消えた時)の一日5回行う。礼拝の時間になると、イスラム圏ではモスクの塔からその時刻になったことを告げる声(アザーン)が聞こえてくる。金曜正午以外の通常の礼拝は他の場所で行なってもよく一人で行なってもよい。汚れの種類に応じて、全身を洗う大浄(グスル)と服を着たままで手足などを洗う小浄(ウドゥーウ)に分かれる。モスクでは壁面のミフラーブと呼ばれるくぼみがメッカの方向を示す。集団礼拝は金曜日正午。酒、豚と同様に犬を嫌い、礼拝中に入ってきた場合は無効になる。

ハッジ巡礼は第12月に行う。巡礼の最後に行なう犠牲(多くの羊)を屠る儀式は巡礼に来ていないイスラム教徒も時を同じくして地元で「犠牲祭」という形で参加する。これはラマダーン月の終わりを祝う「断食明けの祭」と並んでイスラム教の2つの大きな祭の一つ。犠牲祭で屠られた家畜の肉は自分たちだけで食べるのではなく貧しい人々にも配るべきとされている。犠牲祭の背景には息子のイスマーイールを犠牲に捧げるよう神に命じられたイブラヒムの物語がある。ハッジは第12の月の8〜10に行わなければ認められない。この時期はスンナ派もシーア派も同じ。一生に一度は行う。

巡礼を行った人の尊称も日本語でハッジ

偶像崇拝(神を描くことなど)、飲酒や偽証の禁止

コーランでは酔った状態での礼拝を禁止している。紙や顔といった体の特定の部分を隠すように命じる部分はない。

祭日等

ムハンマドがメッカを脱出した金曜日を安息日としている

 

特徴等

アラビア半島7世紀成立 7世紀後半にはスンナとシーアに分裂

三大聖地:メディナ(ムハンマドが初期の活動)・メッカ(カアバ神殿)・エルサレム(昇天の旅)

カアバ神殿:ムハンマドがメディナに遷都した後、敵対者とメッカで戦い、630年にもともとはイスラム教以前から部族神像を祀る神殿だったカアバ神殿の偶像を破壊してイスラム教の勝利宣言をした。アブラハムが立った地とされる。イブラーヒーム(アブラハム)、イスマーイール(イシュマエル)父子が神に命じられて建立したものとされる。巡礼のなかでカアバ神殿を訪れることが定められているのは父子の経験を追体験するため。メッカにはイスラム教徒しか入れない。メッカでは7回神殿を回る

イスラム教は一時イベリア半島にまで勢力を広げたがキリスト教徒にレコンキスタと呼ばれる運動が起こり追われた。

ウラマーが説教を行なう。説教をする時の壇はミンバルと呼ばれる。一般の信徒は自分の行為について迷いが生じたときイスラム法学者に助言を求めるが、この時に出される法学者の判断のよりどころとするのはコーラン、預言者ムハンマドの慣行(スンナ)、類推(キヤース)、共同体の合意(イジュマー)の4つ。これに関してはスンナ派も、シーア派も基本的には同じ。この法判断は人間が神の求める生き方に近づくための指針であり、懲罰を伴う法律とは全く性格が異なる。区分が禁止と義務の2つだけではなく、忌避、中立・許容、推奨を合わせた5つあるのはそのため。

1インドネシア 2億1996万人 2インド 1億9481万人 3パキスタン 1億8400万人 4バングラデシュ 1憶4402万人 5ナイジェリア 9002万人 ただし2050年にはインドが1位に

十字はキリスト教の印とみられるので赤十字社のマークは赤い新月に変えられる

アダム、アブラハム、モーゼ、イエスもイスラム教では預言者である。ムハンマドが特別なのは最後の預言者とみなされる点。

現世には終わりがあり、そのあとに永遠に続く来世が来ると信じることが求められる。来世は天国と地獄からなり、どちらに行くかの判定がなされるのが「最後の審判」

女性はブルカという顔が外から見えないほどすっぽり頭全体を隠すものをつける

マドラサという学校

イスラム:帰依 ムスリム:帰依者 という意味

女性は異教徒と結婚できない

もともとエルサレムに向かって礼拝していたがメッカに変更された

ユダヤ・キリスト教徒を啓典の民と呼ぶ

ヒジュラ暦という太陰暦を用いる。ムハンマドがメッカからメディナに遷都した年(622)が元年で一か月は29日か30日。そのため季節と月は合致していない。

イスラム圏の国は西暦とヒジュラ暦を日常と宗教儀礼で使い分ける。

土葬 火葬は地獄の業火を連想させるので行わない。

太陰暦という月の満ち欠けを利用した暦が使われており1月は29日か30日。同じ月日で月の形が同じであるが季節は違う。対して太陽暦は季節が同じ。

太陰暦の季節のずれを治すために閏月を入れるのが太陽太陰暦

インドではヒンドゥーとシクの対立からインディラ・ガンディー首相の暗殺事件が起きた

シオニズムはユダヤ人の国家を樹立することを目標おしていたが、イスラエル建国されると当初の国連の分割案よりも支配の領域がさらに広げられた。イギリスによるアラブの国々、ユダヤ人、フランスへの対応という三枚舌外交も起因してパレスチナ問題を生じさせた。

アルカイダの主導者であるオサマ・ビン・ラディンはサウジアラビア出身

イスラム教徒はみなウンマの一員 ウンマとはイスラム法(シャリーア)による統治がなされている地域の事 ただし、イスラムの国はシャリーアで統治しているわけではないが規範としている

スーフィズムという神との統合を目指す神秘主義があり、聖者廟が崇敬の対象となっている。中には踊ることで精神の集中を目指すところもある。ウラマーの抱く神のイメージは、畏怖の対象、人間から隔絶したものであるのに対して、スーフィーのそれは愛する対象であり修行によって近づき一体となれるもの。対立することもある 8世紀から

礼拝はどこで行ってもよい。金曜日はムハンマドがメッカを脱した日である。安息日というがこれらユダヤの概念であり正確には休日とされる

原理主義(ファンだメンタリズム)とは聖典の内容を絶対視すること イスラーム原理主義が注目されるきっかけとなったのは、1970 年代末のアヤトラ・ホメイニに指導された
イラン・イスラーム革命である

近代以降の改革運動の原型とされるのは 18世紀半ばアラビア半島に起こったワッハーブ運動。ムハンマドの時代のイスラム教に回帰することによってイスラム教を生き返らせようとしたこの運
動はアフリカや南アジアのイスラム教徒にまで広く影響を及ぼし、サウジアラビアの建国にもつながった。

イスラム主義とはイスラム改革運動の流れをくむ思想および運動。エジプトのスンナ派であるハサン・アル=バンナー(1906‐49)は「ムスリム同胞団」を設立した。わずか数人で始められたこの組織は一般信徒が運営する近代的な性格の組織で政治的な運動だけでなく、教育活動、社会奉仕活動などで知られる。国家権力による弾圧を経験したものの、エジプトでは今日まで存在感を維持している。世俗法ではなく、イスラーム法(シャリーア)によって統治されるイスラム国家の確立を目標としている。2010年以降の最高監督者はムハンマド・バディーウ(ただし、2013年にエジプトで逮捕されて以降、身柄を拘束されている)。エジプト革命(2011年)の後、自由公正党を結党し、合法的選挙によって政権を掌握したが、2013年エジプトクーデターにより権力を失い、2019年時点でムスリム同胞団はバーレーン、エジプト、ロシア、シリア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の各政府からテロ組織としての認定を受けている。モスクや病院の設立などの社会事業を行い、トルコやカタールが支援している。

インドではヒンドゥーとシクの対立からインディラ・ガンディー首相の暗殺事件が起きた

シオニズムはユダヤ人の国家を樹立することを目標おしていたが、イスラエル建国されると当初の国連の分割案よりも支配の領域がさらに広げられた。これがパレスチナ問題を生じさせた。

アルカイダの主導者であるオサマ・ビン・ラディンはサウジアラビア出身

インド、パキスタンのアブル・アアラー・マウドゥーディー(1903-79)マウドゥーディーは1941年に「ジャマーアテ・イスラーミー(イスラム党、あるい䛿イスラム協会)」を立ち上げ、南アジアにイスラム教の教えに基づく社会を実現することを目指した。今日もパキスタンで影響力を持っている。

イスラム教では労働の対価を得ることを正しいとしており定められた「喜捨」を支払う限り、額を問わず私有財産を持つことは男女共に問題視されず、結婚後も妻と夫は別々の財産を所有する。ただし、利子を取ることは禁止されていて、この規範に反しないために一般に「イスラム金融」と呼ばれる最初から固定された利子を避け、代わりに資金を提供する出資者と資金を提供される事業者が、利益と損失を共有する等の仕組みが用いられる。

コーランでは「宗教に強制があって䛿ならない」と記されており、さらに「神がそう望んだならば世界を一つの宗教共同体にすることもできた」という趣旨の一節もあり、異教徒の存在は神の意思によるものだと理解される。コーランには多神教徒に対する批判、攻撃的な文言が見られるが、これはイスラム教に敵対的であった7世紀䛾メッカの多神教徒に向けられたものと考えられる。

イスラム世界でもユダヤ・キリスト教徒は税を納めることで共存できた。

 

服装について

コーランでは女性の髪は男性の気をそそるとされており夫以外の男性には見せない。女性は外出時は必ずベールを見につける。

非イスラム教徒でもモスクに入る前にベールをつけさせられる。入口で配布されるが、自分で用意しておくとよい。ベールにはヒジャブ・ニカブなどの種類がある

東南アジアはベールのみという軽装の場合が多く地域によっては花柄のところもあるなどファッション性の高い者も増えている。

同性でも他人の前で裸になることは許されていない。

 

宗派

主なものとしてシーア派スンナ派が挙げられる

シーア派

イスラム教徒のうち約一割程度 イランの国教

指導者は人間が選ぶのではなく神によって特別な能力が与えられいると解されるムハンマドおよびその娘婿アリーの子孫の中から選ぶ

イマームはいくらイスラム法に詳しくても女性がなることはできない

シーア派の最大分派が12イマーム派

シーア派では指導者をイマームと呼ぶ

聖地はイラクのガルバラーナジャフ

 

スンナ派

分派無し

指導者をカリフ(ハリーファ)という。これは後継者を意味するアラビア語 最初の4人は選出され、それ以外は世襲となったことから4人を正統カリフと呼ぶ

ヒンドゥー教

聖典・教典

ヴェーダ、マハーバーラタ、バガヴァッド・ギーター、ラーマーヤナ、プラーナ文献など

 

教義

カルマ(業)が生み出す輪廻(サンサーラ)からの解放としての解脱を目指す

 

特徴等

バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教

バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つとカースト外のアチュート(不可触民(アンタッチャブル))と呼ばれるカースト外の人もいる。カーストは親から引き継ぐもので、カースト間の移動はなく、善い行いをすると再生したのちに高いカーストで生まれるとされており、シュードラの人々の改宗も多い。多宗教からのヒンドゥー教への改宗の場合はシュードラとなる。

司祭はほとんど上半身は衣装は身に着けない

ブッダはヴィシュヌ神の化身と解される

ラーマクリシュナ 聖人

ホーリーという春の訪れを祝う祭りがある 色のついた水をかけあう 豊作祈願にクリシュナの伝説などの悪魔祓いが合わさったもの

 

火葬が一般的で遺骨をガンジス川に流す

夫を亡くした女性が焼身自殺するサティーが未だにある

バラモン僧は男性のみ

 

ジャイナ教

開祖

マハーヴィーラ

2500年前の仏教とほぼ同時期に開かれる

 

教義

輪廻からの解脱が目的

正しい信仰・正しい知識・正しい行いの三宝という戒律を守ることが解脱につながる

生きものを傷つけないこと(アヒンサー)虚偽のことばを口にしないこと 他人のものを取らないこと 性的行為をいっさい行わないこと 何ものも所有しないこと(無所有)が重要

 

聖地

シャトルンジャヤ山パーリターナ寺院 863もの寺院からなる山岳寺院都市でジャイナ教白衣派最大の本山

 

特徴等

僧侶は結婚できない(不淫戒)

不殺生を守る菜食主義。多くは金融・商業に携わり虫などを殺しかねない農業従事者はいない

白衣派と裸行派 一世紀ごろに分離

 

バラモン教

聖典であるヴェーダは「知」を意味する絶対的なもので、神の啓示を古代の聖賢(リシ)が聞き取って成立した天啓書「シュルティ」とされる。神々への讃歌やマントラなどから成る4つのサンヒター(本集)のほか様々な付随文献があり、狭義にはサンヒターを広義にはこれら文献群すべてをヴェーダと呼ぶ。
ヴェーダの付随文献はシュルティとされるブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッド文献のほか、聖賢の述作である「スムリティ」とされるヴェーダ補助学のスートラ類がある。後に成立する法典文献や二大叙事詩やプラーナなども重要でスムリティに数えられる。

 

シーク教

開祖

グル・ナ―ナク

16世紀に北西部のパンジャブ地方で開いた。

 

宗教施設

グルドワーラー、小規模な寺院はダルバール

パンジャーブ州のアムリトサルが総本山で黄金寺院がある

 

特徴等

ヒンズー教とイスラム教の思想を取り入れた一神教

男性はライオンという意味の「シク」、女性は王妃という意味の「コウル」を名乗る。マンモハンシン首相は名前の通りシク教徒。

寺院では靴を脱ぎ頭にハンカチを乗せて髪を隠す。髪を切らずにターバンを巻くが剃る人もいる

神に供物としてインド料理を供え共食する

インドの人口の1.7パーセント

 

ゾロアスター教

聖典は『アヴェスター』

古代イラン(ペルシア)の宗教。

現在はインドが最も信者が多くパールシー教として信仰されている。

 

仏教

開祖

釈迦(悟りを開いてブッダとなる)

 

聖典・教典

経典←ブッダの入滅後に口伝で語られていたものをまとめた。ブッダの教えをもとに展開させたものも経典という

 

教義

「天上天下唯我独尊」「すべての現象はうつろいゆく。おこらずに精進せよ」

 

仏教ができてから100年後に上座部と大衆部に分かれた

鳩摩羅什(最初の三蔵法師=経・律・論に精通した僧)と玄奘で二大訳聖

ここに真諦と不空金剛を合わせて四大訳経家

苦の輪廻から解脱することを目指す。(解脱とは輪廻しなくなること)

六道とは天道てんどう(天上道、天界道とも)、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道

ただし、初期仏教では五道(地獄・餓鬼・畜生・人・天)で、大乗仏教で修羅が加えられた。

解脱のためには三宝への帰依が必要 三宝とは仏・法・僧

ブッダの初めての説法(初期法輪)では四諦・八正道・中道について説いた。

ブッダには10人の弟子がいた。35歳で悟りを開いてから入滅まで45年間教えを説き、これは口伝で受け継がれ、入滅後数百年で文字化された。

四聖諦(四諦)=苦・集・滅・道という4つの真理を設定し、四苦(出生・老・病・死)=人間が生きているうえで避けがたいもの・八苦(四苦+愛別離苦(あいべつりく - 愛する者と別離すること・怨憎会苦(おんぞうえく- 怨み憎んでいる者に会うこと・・求不得苦(ぐふとくく- 求める物が得られないこと・五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと)

五戒とは不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒

 

特徴等

三大仏典:パーリー語仏典・漢語仏典・チベット語仏典

様々な仏教経典を集約したものを大蔵経という

入滅後の紀元前三世紀頃、戒律を厳格に守ることを重んじる「上座部仏教」と、お釈迦様の教えを広く大衆に広めることを目指した「大乗仏教」という二つの流れができた。日本は大乗仏教を受容。

上座仏教は初期経典のみ、大乗仏教は初期経典と大乗経典を用いる

ダルマは禅宗初祖である達磨の姿 河南省の嵩山少林寺は達磨ゆかりの禅宗寺院

寺院建築の真ん中が太い円柱や唐草模様があるのが特徴的で、これはインド・中国を経由してギリシャから伝えられた。

修験道は日本独自 どっこいしょは六根清浄から

須弥山はインド由来の仏教的宇宙観

 

4大聖地:ルンビニ(生誕所);ネパール ブッダガヤ(成道所);インド サールナート(初所法輪所=初めて教えを説いた);インド クシーナガラ(入滅);インド

涅槃会 2/15 お釈迦様の亡くなられた日。釈迦が紀元前383年2月15日に80歳で亡くなったことをは釈迦涅槃図で記されている。この釈迦涅槃図では釈迦の頭部は北を向いており、これが北枕の由来となった。

成道会 12/8 釈迦が悟りを開いた日

降誕会 4/18 釈迦の生まれた日。花祭りともいう

彼岸会 春分と秋分の前後7日間。元来悟りの境地を示す仏教用語で平安時代から行われた春秋2回の法会が彼岸供養のルーツ

盂蘭盆会 7/15or8/15 先祖供養の行事でいわゆる盆の事 仏弟子が餓鬼道に落ちた亡き母の供養をした話に由来

インド由来の焼香 焼香の香りは仏の食物であるという考えがあります。 故人や仏にお食事を楽しんでもらい、また、あの世での幸せを祈るために焼香します。 焼香はする側の邪気を祓って精神と肉体の穢れを取り除くともいわれます。

除夜の鐘は韓国でも行われる 鎌倉までは禅寺で毎日行われていたが、やがて大晦日にのみ行われるようになった

悟りを開いた仏である釈迦の像は装飾物がほぼなにもない

数珠は念仏などの回数を数えるため

上座仏教について短期間の出家僧もいる 常に僧侶用の服 右肩を出して袈裟を着る

ネオブディズムは19cインドで起こった仏教復興運動

ブッダは火葬された 日本の火葬は仏教によってもたらされたもの

葬式は部派仏教の時から行われていた

 

仏像とは仏陀像(釈迦像)を指すが、しばしば菩薩像や明王像もそう呼ばれる。

三尊仏=本尊の仏像を挟んで両脇に脇侍 ex.釈迦三尊像 普賢菩薩 如来 文殊菩薩 、 阿弥陀三尊 観音菩薩 阿弥陀如来 勢至菩薩

愛着とはもともと捨てるもの

方便とは救うためのやむを得ぬ手段

お寺の役割・機能は供養寺・祈禱寺・観光寺・修行寺などに分けられる

 

死後の法要

インドでは初七日、二七日と死後七日ごとに法要を行う。49日は7日毎に行われる裁定の最後7回目。これに百ヶ日、一周忌、三回忌を加えて中国では十仏事、ここに日本では七回忌、13回忌、33回忌を加えて13仏事とする。弔い上げ(弔いきり)は毎年の法要の最後の事 33回忌または50回忌

三周忌はなくなって2年後

 

大乗仏教(北伝仏教)

ヒマラヤ山脈を西に迂回してシルクロードを経て東アジアに広がる

2~3cに龍樹が教説的基盤を確立

お釈迦様の教えを広く大衆に広めることを目指す

西域を通じて東南アジアに伝わった

阿弥陀如来と観音菩薩は大乗仏教成立後に信仰され始めた

肉食を避けるのは大乗仏教の戒律

慈悲の精神に基づく利他行の実践がすすめられる

末法思想

上座部仏教(南伝仏教)

上座部仏教のサンガ(僧団)ではパーリ語聖典のみを聖典としブッダ(釈迦)を如来として信仰し、また出家者を中心に阿羅漢(あらかん)の悟りを得ることが目指される。大乗経典の教えや、そこに記された多な如来や菩薩は信仰の対象とはしない。

紀元前3世紀ころにスリランカに伝わりそこから東南アジアへ伝わる

寺院にあるのは釈迦像

ブッダが生まれた日、悟りを開いた日、入滅した日は同じ

最も重要な聖典はパーリー三蔵。す。元来口頭で伝えられてきた聖典であり、パーリ語に固有の文字はなく、1世紀以降に書写されるようになってからは各地の文字を用いてパーリ語の聖典を記すようになった。日本語のものは南伝大蔵経という。

僧(サンガ)とは出家者集団の正式な一員で、20歳以上の男性で具足戒(227条の律)を受けた比丘と女性で具足戒(311条の律)を受けた比丘尼を意味する。仏陀の育ての母マハ―・パジャーパティー・ゴータミーが最初の比丘尼。比丘尼出家の前に6戒を2年間守る修行期間が課され、この女性修行者を式叉摩那と呼ぶ。

見習段階の修行者は沙弥(しゃみ)・沙弥尼(しゃみに)・式叉摩那(しきしゃまな)といい、これらも出家者と見なされる。沙弥と沙弥尼は10戒を守る。在家者の男性信徒を優婆塞(うばそく)、女性信徒を優婆夷(うばい)と呼び、在家者には5戒の実践(時に8戒の実践)が推奨される。

現在の上座部仏教では女性僧侶の比丘尼や、沙弥尼・式叉摩那は原則存在しないが、近年の比丘尼復興運動で比丘尼・沙弥尼となる者もいる。

自身の解脱を重視

尼僧もいる 飲酒と妻帯(不淫戒の教え)は認められていない 動物を殺すことも認められていないが肉食自体は禁じられていない

現在の各国の宗派は、スリランカで大きく分けて3派、ミャンマーでは9派、タイでは2派、ラオスは宗派統合がなされて1つの集団、カンボジアは2派となっています。

女性から直接食べ物を受け取ることはできない

右肩を出す偏袒右肩という袈裟の身に着け方をする

在家者は僧侶へのお布施で徳を積む できる限り五戒を守るように努める

 

チベット仏教

サキャ派、カギュ派、ニンマ派、ゲルク派と呼ばれる四大宗派がある。

高僧の死後お告げや占い、遺品の識別等を頼りに幼児を探し出し、高僧の地位を継承させて英才教育を行い、宗派や僧院のシステムを維持する化身ラマ制度

1950年中国共産党は、チベットを軍事占領しました。ダライ・ラマ14世は1959年にインドに亡命しチベット亡命政府を樹立した。

 

日本の仏教

概論

6世紀に朝鮮半島・中国大陸を経由して伝来。当初は蘇我氏と物部・中臣氏の対立があったが、6世紀末には推古天皇より仏教交流の詔が取り入れられる。7世紀初めには遣隋使が派遣され、伽藍建築の様式や仏具類が広まった。まや聖徳太子が法隆寺を建立した。8世紀には鑑真が来日し、律宗を広めるとと共に得度(剃髪し出家僧になる)のあり方に影響を与えた。

明治時代以降、ハワイや南北アメリカに渡った日本人によって寺院が建立され僧侶も多く海を渡った

大正大学は天台宗と浄土宗と真言宗豊山派・智山派が連合して作った大学。東洋大学は妖怪博士と言われた井上円了が創立した。井上円了は仏教における民族習俗の重要性を説く

仏教という言葉は江戸時代以降発展した言葉でそれ以前は仏法・仏道と呼ばれた。仏教はシルクロード経由でもたらされ、ギリシャの影響を受けた装飾もある。

末法思想:正法(教えも悟る人もいる)→像法(教えはあるが悟る人がいない)→末法(教えも悟りもない) 日本では平安時代から末法の世に入ったとされる

十牛図 修行者を牧人、悟りを牛になぞらえた仏道修行の過程を描いための如来はすでに悟りを得た仏であり、質素で装飾が少ない

『日本霊異記』仏教説話

『平家物語』

上座仏教は明治にスリランカに留学した日本人僧である釈興然(グナラタナ)によって伝えられる

日本の袈裟は派手。インドでは質素だった

四国八十八ヶ所巡礼は弘法大師ゆかりだが全てが真言宗ではない

浄土真宗以外は妻帯や肉食は明治初期まで認められていなかった。肉食妻帯は明治政府が認めた。髪を剃らないのも明治以降

江戸時代の檀家制度(寺請制度)キリスト教を禁じる目的 原則所属の寺の変更は不可。旅行や移転、結婚の際には檀那寺からの寺請証文が必要だったが、檀家制度は明治維新で廃止された。

江戸幕府が本山・末寺制度を設け、各寺院はどこかの本山に属することになり本末関係が固定化。

南都六宗から平安時代の天台・真言宗までは中国発

仏教教団による社会福祉事業は明治期に始まり大正期から増加

明治時代は上知令が出され、寺院の境内地没収、GHQの農地改革で寺院の農地は買い取られお布施への依存率が上がった。

神仏判然令で、天台宗戸隠山顕光寺が戸隠神社に

 

南都六宗(奈良仏教)

鎮護国家思想=仏教が国を守ってくれる

聖武天皇は特に熱心に仏教を信じ出家した。国分寺建立の詔を出し、国分寺と国分尼寺を建立。総国分寺は東大寺、総国分尼寺は法華寺

法相宗

玄奘による唯識研究に基づき、唐代に窺基がひらいた

総本山:興福寺(阿修羅像)・薬師寺(薬師三尊像 日光菩薩/薬師如来/月光菩薩)

三劫成仏の典型 葬式は行わない

律宗

律蔵の研究と実践を重視

総本山:唐招提寺

鑑真 唐代の僧で戒壇を設置し菩薩戒を授けた

具足戒

華厳宗

華厳経を最高の教典とする

総本山:東大寺

葬式を行わない 聖武天皇建立の総国分寺で、盧舎那仏の開眼はインド出身のバラモン階級の僧の菩提僊那

鎌倉時代の東大寺再建には重源上人が活躍

三論宗

龍樹の「中論」「十二門論」やその弟子の提婆の「百論」に基づく

成実宗

経の解説書である成実論を重視

俱舎宗

唯識研究

 

密教系(平安仏教)

密教系では本宗の右に胎蔵界曼荼羅、左に金剛界の両界曼荼羅をかける

天台宗

開祖:最澄(伝教大師)大師を与えられた最初の例

総本山:比叡山延暦寺

「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」と唱える。福聚金剛は最澄の灌頂名

中国で形成された

千日回峰行

世界宗教サミット開催。

本覚思想:一般の衆生にも悟りの智慧は備わっている

 

真言宗

開祖:空海(弘法大師) 中国で密教を学んだ

総本山:高野山金剛峰寺

教義

「南無大師遍照金剛」と唱える。弘法大師空海に帰依しますという意味。遍照金剛は空海の灌頂名で大日如来の別名

即身成仏:誰でもすぐに仏になれる↔三劫成仏

身口意の三密修行に励む

大日如来を信仰する

智積院

 

浄土系

浄土教の経典は既に奈良時代に伝わっていたがその教えは広まっていなかった。9世紀、天台宗の円仁は「不断念仏」を始め比叡山では朝題目夕念仏(=朝は南無妙法蓮華経、夕に南無阿弥陀仏)が行われた。

10世紀後半、源信は『往生要集』は地獄の恐怖と浄土の素晴らしさを説き、空也は各地で念仏信仰を広め浄土信仰が強まった。11世紀、末法思想が広がり永承7年(1052年)が末法の始まる年とされた。

善い行いを積むことで死後、極楽浄土に生まれ変わると考える(天国ではない:天国は天の神が住まう国)

浄土宗

開祖:法然(円光大師)『選択本願念仏集』 比叡山で学んだのち浄土宗を開く。(中国には行っていない)

総本山:知恩院

教義

専修念仏

人間は死後、極楽浄土に行き、そこで修行することで成仏できる。

生きている間は「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えて極楽浄土を目指す。阿弥陀仏の慈悲によって救われる。

南無阿弥陀仏=阿弥陀仏に帰依するという意味。

総本山/主要寺院:知恩院(百万遍)/地蔵院 通称椿寺

浄土真宗

開祖:親鸞『教行信証』 法然に師事したのち浄土往生を説く真実の教えを継承し、死後に門弟らが浄土真宗を開く

本山:浄土真宗本願寺派→西本願寺 真宗大谷派→東本願寺(真宗本廟)

教義

他力本願(他人とは阿弥陀如来のこと=阿弥陀仏の力で浄土に行ける、阿弥陀仏を信じるだけで救われる=念仏を唱えることよりも唱える気持ちを重視)

極楽浄土で修業しなくても成仏できる

他力回向(人間が願っても願わなくても仏に救ってもらえる→現世では念仏を唱える)

特徴

親鸞は妻帯しており、このことから唯一妻帯が認められる宗派となった。また、子が多くいたことから11世紀には教如と准如の兄弟の時代に分裂し、徳川家康が教如に東本願寺を、豊臣秀吉が准如に西本願寺を与えた。14世紀前半3世覚如のときに本願寺という寺号が定められた。8世蓮如は中興の祖と言われ、15世紀に御文と呼ばれる大衆教化のための文書を著し、応仁の乱で乱れた世の中に救いを提供。

「非僧非俗」

一向宗とも呼ばれる

日本固有

10の宗派があり、最大のものは浄土真宗本願寺派で総本山は西本願寺。

寺院の創建は応仁の乱後が多く、現在はもっとも信者が多い

島地黙雷は『三条教則批判建白書』で明治政府の祭政一致を批判

清沢満之は真宗大谷派として明治後期に精神主義を唱える。大谷大学の初代学長。

倉田百三は昭和初期に『出家とその弟子』にて親鸞と唯円を描いた

 

融通念仏宗

開祖:良忍 天台宗の僧侶

総本山:大念仏寺

大念仏狂言が行われており、壬生寺や清涼寺でおこなわれている。

 

時宗

開祖:一遍

総本山:清浄光寺(遊行寺)

踊り念仏

 

仏教由来の言葉

行脚:坐禅修行のために士となるべき人を求めて各地の僧堂訪ね歩いたことに由来する。

愛着(あいじゃく):煩悩の一種で捨てるべきもの

以心伝心:悟りへの道は言葉によらず心から心へと直接伝えるという教えに由来

因果応報:善悪の因縁に応じて吉凶禍福の果報を受けること

因縁:物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。

縁起:他との関係が縁となって生起すること。 自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており,したがってそれ自身の本性,本質または実体といったものは存在せず,空であると説かれる。

他力本願:仏の力を絶対的に信頼する姿勢

方便:法華経の中に出てくる言葉で、救うためのやむをえぬ一つの手段。

大袈裟・果報・自業自得・ 精進・世間。利益

 

法華系

日蓮宗

開祖:日蓮(立証大師)中国行ってない 天台宗の寺で出家し比叡山で修業

『立正安国論』法華経に帰依しなければ内乱や他国の侵略が起こると北条時頼に進言

「四箇格言」=「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」

教義

妙法蓮華経=南無妙法蓮華経=法華経に帰依するという意味で題目という

総本山:三派合同後の総本山は身延山久遠寺(山梨県)山梨県で盛ん

特徴

日本固有

山梨県で盛ん

宮沢賢治は日蓮宗の国柱会会員

 

禅宗系

禅宗の開祖はインドから中国に禅をもたらした達磨。ダルマは達磨が座禅をしている姿をモチーフにした。

鈴木大拙 欧米にZenを紹介

以心伝心 言葉で表現しなくても大事なことが伝わる

懐石料理は禅の影響を受けながら広まった茶の湯の際の軽い軽食に由来

臨済宗

開祖:栄西が宋から伝える『興禅護国論』=禅によって日本の仏教を立て直す

2度宋に渡り禅宗を学び臨済宗を開いた

『喫茶養生記』茶を伝える

ただし、江戸時代に白隠慧鶴が確立(再建)

総本山/主要寺院:妙心寺/建仁寺、建長寺、鹿苑寺(金閣で足利義満が晩年を過ごす)、慈照寺、西芳寺(通称 苔寺)

五山制度 南宋の時代に倣って鎌倉以降できた制度。最初は臨済宗で鎌倉の建長寺・円覚寺、京都の建仁寺が含まれた。 室町以降になると各派も取り入れはじめ、京都五山【天竜寺(天龍派)、相国寺(相国寺派)、建仁寺(東福寺派)、東福寺(東福寺派)、万寿寺(東福寺派)】や鎌倉五山【建長寺(建長寺派)・円覚寺(円覚寺派)・寿福寺(建長寺派)・浄智寺(円覚寺派)・浄妙寺(建長寺派)】。十刹

教義

不立文字:言葉を介さずに真の悟りを得ようとする。禅の悟リは文字や言語で伝えられず、心で悟るもので、師の心から弟子の心に直接伝わるもの(以心伝心)である。

公案禅:悟りに到達する手段として師が弟子に出す課題。問答を行うことで悟りを得る。禅問答。

10以上の教派がある

 

曹洞宗

開祖:道元『正法眼蔵』=楊枝と洗面の作法を取り込む

栄西の建仁寺で修行後に宋へ

教義

「南無釈迦牟尼」

只管打坐:座禅によって悟りが開けるのではなく座禅そのものが悟りの目的。ひたすら座禅を行う。

黙照禅:修行の中に悟りがある

成仏のために教典ではなく座禅を重視

永平寺には釈迦如来がある

派無し

難民救済運動を始め、これが東南アジアで教育支援を行うシャンティ国際ボランティア会に発展した

大本山:永平寺、總持寺

 

黄檗宗

開祖:隠元 江戸伝来

総本山:万福寺

教義

江戸伝来で臨済宗と似ている。中国では禅宗と浄土教の融合が進んでおりその影響が強い

普茶料理は江戸時代に黄檗宗の僧侶が広めた中国の精進料理

 

神道

本地垂迹説 仏が神の姿

織田信長は建勲神社に祀られる

靖国神社 1869年明治天皇の勅命によって戊辰戦争・明治維新期の戦没者を祀るために建てられた

船の中には船霊や住吉・金毘羅の神が祀られる。エビス神は海に仲間された由緒から水死体をエビス神と見る風習がある。

式内社は10世紀の延喜式に基づく

22社制度は平安時代の制度で10世紀頃。伊勢神宮、石清水八幡宮、春日大社など朝廷から特別の崇敬を受けた神社。

最も参拝者が多いのは明治神宮

神宮の御杣山は神路山と高倉山。現在はこれらの用材を使いながら三重・愛知・岐阜等から集める

ハワイにも神社があるが海外の物は神社本庁包括外

一宮は平安時代の制度

神田祭と山王祭は江戸城内まで入って将軍も見たことから天下祭りとも呼ばれる。

 

道教

漢民族の伝統的な宗教で老荘思想を道教の源とみなす。

老荘思想は古代中国において生まれた思想で、人為的な方法より自然の流れを重んじる考え。

老子は紀元前5~6世紀頃、春秋時代にあらわれた思想家で道は自然に備わっていると考え、荘子は現実に存在する数々の対立はみかけ上のものと考えそれにとらわれない生き方を説いた。「無為自然」という言葉がそれを端的に示す。

食べ物に関する規律はなく、争わず無為自然、内面重視で陰陽を統合する道を求める。

魂は天に、身体は地に帰るという思想から土葬

多神教で最高神は時代や地域で異なる ex.老子の神格化→太上老君 三国志の関羽→関帝

道教の寺院は道観という 「○○観」、大蔵経に倣って道蔵がつくられた ex.老子道徳経

創世神話について最初に太極があり、そこから陰陽に分かれて万物が生じたとする。

不老長寿や不老不死が理想でこれを達成した人を仙人と呼ぶ。護符や不老長寿の仙薬・漢方薬を配る。

庚申思想 夜中に三尺の虫が出て行って天帝に告げ口するという信仰。徹夜して身を慎んだり、会食したりする

太極拳

天壇は中国の皇帝が天を祀る儀式を行うための施設で、清代のものが北京に現存する 世界遺産

五行説には五行相克説(「木は土を克す」、「土は水を克す」、「水は火を克す」、「火は金を克す」、「金は木を克す」という関係)と五行相生説(「木は火を生ず」、「火は土を生ず」、「土は金を生ず」、「金は水を生ず」、「水は木を生ず」という関係。一般的)があり、宋の時代に哲学として発展。季節の移り代わりや王朝交代もこれで説明。これが色や季節に配当され、東に青、西に白といった方位と色の関係、夏と赤、冬と黒といった季節と色の関係などが生まれた。

 

新宗教

日本の新宗教

産業化や都市化により農村から都市へ人々が移動してきことや社会変化が要因

教派神道13派

幕末維新期から形成
初期のものは黒住教・天理教・金光教

神道大教

黒住教 黒住宗忠 岡山県 西日本中心

神道修成派

出雲大社教

扶桑教 富士講から明治6年成立

実行教

神道大成教

神習教

御嶽教

神理教

禊協

金光教 岡山県で金光大神(赤沢文治)が開教

天理教 神道系 奈良県から全国に分布 幕末に中山みきが創設。明治後期から大正時代にかけて信者増加

大本教  明治(1892) 出口なおと出口王仁三郎 京都 宗教体験 大正と昭和2回の弾圧

生長の家 1930年谷口雅春が大本教の影響を受けて創立 長崎県の龍宮住吉本宮は総本山

世界救世教 岡田茂吉が大本教の影響を受けて設立。もともとは大日本観音会 ここからの分派が最も多い 手かざし

世界真光文明教団 世界救世教から分離してできた。岡田光玉が開祖。後継者問題から崇教真光が分裂。

ほんみち 天理教の影響を受けた大西愛治郎が創立

 

仏教系

真如苑:開祖 伊藤真乗 伊藤友司 創始者が真言宗と関わりが深く、密教的な儀礼が特徴的である。

解脱会:密教系

霊友会:法華経系新宗教 久保角太郎と小谷喜美

国柱会:法華経を重んじた田中智学は日蓮主義を唱えて大正時代に創立した在家仏教教団 宮沢賢治が信者

妙智会:開祖 宮本ミツ 宮本孝平が設立前にミツを導いたため設立者と同等の地位 法華経系新宗教 困難を耐え忍んで善を行っていくという「忍善」+先祖供養 霊友会系教団は20以上あり、いずれも先祖供養(夫婦両家の先祖の総戒名をまつって供養)を重視

立正佼成会庭野日敬・長沼妙佼 霊友会からの分派

創価学会:日蓮正宗講のひとつである創価教育学会が前身 牧口常三郎 二代会長となる戸田城聖 SGIを組織

阿含宗:山岳密教を取り入れ超能力的な思想をもつ。京都で星まつりを1990年代から行う。

新宗教に禅宗系はない

 

その他

オウム真理教→アレフ・ひかりの輪 オウムは地下鉄サリン事件で13人殺害 数千人の負傷者 サティアンという建物で生活 事件後解散。麻原彰晃は2018年に死刑執行

PL教団(パーフェクトリバティー)

白光真宏会 五井昌久

法の華三法行 足裏鑑定 詐欺で解散

幸福の科学 大川隆法 大川自身がエルカンターレという神

法の華三法行:福永法源によって設立された。1980年に天声を聞いて宗教活動を始めたとされ、宗教を超える「超宗」であるとした。足の裏診断という独自の方法を採り入れ話題になったが福永法源は2000年に詐欺罪で逮捕され、翌年宗教法人解散。

日本基督教団 1941年設立のプロテスタント33派による合同教会 公会主義というどのキリスト教派にもよらない原則をとる

世界救世教 第二次世界大戦後にキリスト教の影響を受けた女性によって始められ、静岡に本部がある MOA美術館

 

世界の新宗教

キリスト教系新宗教

キリスト教科学(クリスチャン・サイエンス):19世紀後半にアメリカのメアリー・ベイカー・エディ夫人が創始。現在、本部はマサチューセッツ州ボストン市にあります。

末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教):19世紀前半アメリカのジョセフ・スミスの創始。アメリカ東部で始まったが迫害を受け西部に移動し、現在はユタ州ソルトレイク市に拠点を置く。東京に神殿がある。ユタ戦争という米国軍との戦争。三位一体の否定・原罪の否定・最後の審判ではイエスキリストに裁かれると考える。どちらかといえばプロテスタント系。衛星放送を広範に利用して布教。コーヒーや酒を飲まない。

エホバの証人(ものみの塔) :19世紀後半アメリカでチャールズ・ラッセルが創始。日本えでは国外新宗教の中でもっとも信者が多い。兵役と献血を拒否をする。

救世軍:19世紀のイギリスから起こったプロテスタント系新宗教 社会鍋という社会福祉活動に力を入れる

セブンスデー・アドベンチスト(SDA):福祉活動や禁煙に取り組む。日本でも禁煙活動を進めており、東京衛生アドベンチスト病院を運営。

世界基督教統一神霊協会(統一教会):2015に世界平和統一家庭連合に変更 韓国のキリスト教系新宗教で霊感商法問題や合同結婚式で話題

アーミッシュ:ペンシルベニア州に本拠を置く 電車や車を使わずプロテスタントのドイツ系移民の伝統的な生活を送る

メノナイト:カナダオンタリオ州発

バハイ教:イランでイスラムシーア派の影響を受ける バハオラが創始者

カオダイ教:20cのベトナム形成で、仏教・儒教・道教・キリストの影響を受ける カオダイは第1回目の人類救済のために釈迦の姿を借り現世へ現れ、第2回目はキリストと老子の姿を借りて現れた。現在、3回目の人類救済のために東西諸宗教を統合したとされる 道教の玉皇上帝をカオダイとして尊崇し総本山にはカオ大野目の像が描かれている

シーク教:16世紀のインド ナ―ナクが創始者 イスラムとヒンドゥーの影響

ブードゥ教:ハイチで起こった。フランスの植民地であった時代にその萌芽があるとされるが、宗教として組織的になったのは20世紀。

カンドンブレ:ブラジルに起こったもっともアフリカ的な宗教。19世紀前半に組織的な運動になった。オリシャと呼ばれる神々を崇拝。

円仏教:20世紀前半に少太山(ソテサン)創始の仏教系教団

一貫道:19世紀末に中国で形成され20世紀に台湾に本拠地を移した 所属の半分が尼僧 菜食主義

東学(天道教):19世紀にチェジウが開いた

サイエントロジー:20cアメリカで設立された教団

ラエリアンムーブメント:フランス人が始めた。本部はスイス・ジュネーブ。

ネイション・オブ・イスラーム:20世紀前半に米国で創設。創始者はファラッド・モハメッド。黒人たちに彼らの本来の宗教はイスラム教であると説いた。

ムリーディ教団:セネガルで19世紀末にバンバにより設立された20世紀後半から信者が増え、現在は数百万人にのぼる。

日本では阿含宗が1980年代末に通信衛星を用いて儀礼を全国に中継して話題になった。その後、創価学会などいくつかの教団が衛星放送を利用するようになりました。

空飛ぶスパゲッティ・モンスター教:21世紀初めにボビー・ヘンダーソンが考案。インテリジェント・デザイン論に対抗するものでバーチャルな宗教。

 

各国の状況

中国

儒教思想

五倫五常:孔孟の教え 五倫は父子の親・君臣の義・長幼の序・夫婦の別・朋友の信。特に上下関係の秩序を守ることを重視。男性を上位とする考えにつながる。五常は仁・義・礼・智・信。

孔子『論語』「人の欲せざる所、人に施すこと勿れ」

孔子廟で、孔子など儒教の聖人を祀る儀礼は釈奠(せきてん)

『論語』孔子 生誕地山東省の曲阜はか世界遺産

四書五経は孔子が体系化したもの

宋の時代以降に12c朱子学、16c陽明学が成立。朱子学というのは日本語での表現であり、中国では程朱学あるいは道学という。朝鮮の14c李朝は朱子学を国教にした。

位牌はもともと儒教の者だが、鎌倉時代に禅僧が日本に持ち込み江戸時代に一般化した

 

仏教

唐代7世紀に玄奘(三蔵法師のモデル)は陸路でがインドから経典を持ち帰りこれを訳した。仏典を治めたのが西安の大慈恩寺。がインドへの旅を記した紀行文が『大唐西域記』。鳩摩羅什は4c末西域の亀茲国に生まれ長安で仏典の漢訳に尽くした。玄奘と鳩摩羅什を二大訳聖という

孫悟空ら三蔵法師一行は観音菩薩に助けられる

嵩山少林寺は禅宗

文化大革命期に仏教寺院破壊されたが再建され、1980年代の改革開放政策によって仏教寺院が活性化し一部は観光寺院化

中国八宗:三論宗、天台宗、華厳宗、法相宗、律宗、浄土宗、禅宗、真言宗(密教)。これらは日本の仏教宗派のように独立したものではなく、学派に近い存在。

中国に伝えられた禅は南宗禅と北宗禅の大きく2つに分かれ、さらにいくつかの派に分かれた。やがて看話禅と黙照禅という2つの特徴的な禅の系統ができた。臨済禅は看話禅、あるいは公案禅と呼ばれるように特徴的な禅問答をうみ、曹洞禅は黙照禅で、黙って座るという行法。

日本では禅宗系と浄土宗系の宗派とは異なった組織だが、中国では明の時代に両者の融合が進み禅宗の寺院に阿弥陀仏がまつられた。

敦煌はシルクロードの経由地でここから東方に仏教が広がった。

 

その他

四大霊山 文殊菩薩の五台山・普賢菩薩の峨眉山・地蔵菩薩の九華山・観音菩薩の普陀山

太陽に住む三足烏

月に住むのはガマガエルとうさぎ

天壇は冬至に太陽を祀った

道教殷墟からは大量の殉葬者の遺骨や占い用の甲骨が出土し独自の宗教的活動が行われていたことが分かる

三大石窟:甘粛省にある敦煌の莫高窟は4世紀に開かれた石窟で世界遺産 山西省大同の雲崗石窟と河南省洛陽の龍門石窟

7c前半の唐代にはネストリウス派が景教として布教していた。

13世紀末にフランシスコ会の宣教使が北京に来て、6千人が改宗した。16世紀にはフランシスコ・ザビエルが日本宣教のためにまず中国に拠点を形成した。東インド管区巡察師ヴァリニャーノは中国宣教の実現を図りった。16世紀末には、マテオ・リッチがキリスト教の文化や科学を伝え、皇帝たちに重用された。マテオ・リッチの中国名は利瑪竇(りまとう)。

イスラムは13c~14cの元の時代に広まる

山海経 最古の地理書 紀元前4~300年

新年の祭りは旧暦に基づいて行い、旧正月を春節という。

3月の清明節に墓参りをするがこれは日本でいう彼岸にあたる。

端午の節句にちまきを食べるのは中国の行事が由来

 

近代から現代

ウイグル・西域はイスラム教、雲南地方には上座仏教

中国では宗教団体が政治活動をすることは宗教事務条例により禁じられている。また憲法第36条の第4項は外国の宗教が中国国内で布教活動をすることを認めていない。

土葬が伝統だが火葬が増加

共産党員は無神論者であるべきとする 宗教の政治への介入できない

海外からの布教活動は認めない。宗教施設外での宗教活動はできない

仏教・道教・イスラム(伊斯蘭教)・カトリック(天主教)・プロテスタント(基督教)が公認宗教 ただし、カトリックの「地下教会」やプロテスタントの「家庭教会」という非公認のキリスト教会が増加

唐の時代にキリスト教が伝来したが、それは景教というネストリウス派キリスト教だった 16世紀にマテオリッチが北京でイエズス会の宣教 19世紀にプロテスタントのロバートモリソン

近年はプロテスタントと仏教信者の増加が顕著

学校でキリスト教の歴史を教えることもある

もともと法輪功という気功を実践する集団を推奨していたが、デモを行ったことから邪教とみなされ弾圧されている

 

 

アジア

タイの旧正月に行うソンクラーンは雨乞いの祭り

マヤ長期歴は2012年12月にくるとされていたが、この時間観は円環的だ

 

台湾:1987年の戒厳令解除までは宗教統制 9割火葬 仏教35%・道教33%・キリスト教3.9%

タンキ―と呼ばれる男性のシャーマンがある

儒教もあって孔子廟がある

1900年には台北に官幣大社台湾神社が建てられた。

 

香港:中国返還以降も自由な宗教活動が可能。プロテスタントの信者が約48万人、カトリックの信者が約36万人で、合わせると人口の1割以上がキリスト教の信者。キリスト教徒に次いで多いのはイスラム教徒、そして仏教徒。

 

韓国:30%がキリスト教徒でプロテスタントが19%(カトリックは漢字では天主教、プロテスタントは改新教)・仏教が第二(最大宗派は曹渓宗 檀家制度はない)

曹渓宗の海印寺が所蔵する高麗版大蔵経の版木は世界遺産。

太古宗は曹渓宗から分離した宗派で本山は奉元寺

日本で活動するキリスト教会があり、逆に創価学会信者もいる

女性シャーマンが多い

墓は小さい丸い山型の墓に土葬が多かったが今は火葬

文ジェインを含め大統領のほとんどがキリスト教徒

宗廟は歴代の国王王妃を祀る世界遺産

日韓併合を契機に朝鮮半島には神社や寺院が建てられた。ソウルには1919年に官幣大社朝鮮神宮が建てられ、仏教宗派も浄土真宗をはじめ、各地に寺院を建てた。しかし1945年の日本敗戦後、日本の神社、寺院等はすべて活動できなくなり建物等もほとんど破壊された。韓国仏教は日本の統治時代の影響が強く一部ではあるが妻帯する僧侶もいる。儒教もいるがかなり少数神社はない 朝鮮神宮の跡地には安重根の記念館。

韓国併合の際に日本の仏教の影響を受けており妻帯する僧もいたが、第二次世界大戦後その是非を巡って議論になった。最大宗派の曹渓宗は妻帯できず、そこから分かれた太古宗は妻帯できる。

仏教系の新宗教として少太山(ソテサン)によって戦前に設立された円仏教があります。少太山が悟りを開いた1916年を「円紀元年」とするという独自の年号があり、戦後円光大学校を設立した。

東学という19世紀後半の宗教あり。「後天開闢(かいびゃく)」という独特の教えが展開しました。後天開闢とは、東学があらわれたことによって新しい世が切り開かれるという考えで、一種の世直し的な思想を持つ。

チェサという儒教由来の先祖祭祀がある

新年の祭りは旧暦に基づいて行う。旧正月はソルラルという。

韓国建国神話で現れる檀君は桓雄と熊女の子

李氏時代は仏教を弾圧し朱子学を尊重

 

北朝鮮:国際的に信教の自由がもっともない国で地下教会がある

1%はキリスト教で1割は崔済愚設立の東学から発展した天道教(本部は韓国)仏教4%

 

チベット・モンゴル:後期密教から派生したチベット密教・ラマ教 チベト仏教は大乗の流れ。チベットにはボン教と呼ばれる宗教があるが仏教から大きな影響を受けながらも、別の宗教として続いている。仏教では右回りに聖地を回るのに対し、ボン教では左回りなどの違いがある。ダライラマが1つの中国を批判しており、中国とは友好的関係にあるとは言えない。社会主義の影響で宗教は制限されたが、社会主義崩壊後は仏教寺院が再興され半数が仏教徒。シャーマニズムも復興している。福音主義のキリスト教会もあり1990年に新約聖書がモンゴル語に翻訳されている。

 

インド:ヒンドゥー教80%・イスラム10%・キリスト教3%

イスラム化された時期がある。

ヒンドゥーとシクの争いでインディラガンディー首相が暗殺された

ヒンズーとイスラムの対立があり1990代にモスクがヒンズー至上主義者に破壊される事件が起こった

インドの神が神道に影響 サラスバティ=弁才天 ラクシュミー=吉祥天(毘沙門天の妻)

アンベードカルのカースト制度への批判からネオブディスト(新仏教)の信徒が数百万人ある

ナーランダー大学では龍樹が講義を行い、玄奘が留学した。

アルカイダの主導者であるオサマ・ビン・ラディンはサウジアラビア出身

マヤ長期歴は2012年12月にくるとされていたが、この時間観は円環的だ

 

ネパール:ヒンズーが国教 ヒンズー8割・仏教1割

 

フィリピン:スペイン統治の影響でカトリック80% しかし、アメリカの植民地となったのでプロテスタント10%。

法的離婚制度がない。

 

ブルネイ:イスラム教が国教。

 

東アジアの仏教国

ベトナム:社会主義だが信教の自由あり。もともと漢字圏で中国の影響を受けており大乗仏教が主流。

旧正月はテト

カオダイ教は20世紀前半に、ゴ・ヴァン・チュウが至上神「カオダイ(高台)」の啓示を受けて創始した宗教。ベトナムの宗教の歴史を反映するかのように、仏教、道教、儒教、キリスト教、さらに民
俗信仰の要素が加わっており、本部の神殿にはカオダイの天眼(左目)がある。

ミーソン遺跡はヒンズー教の遺跡 ベトナム戦争で破壊

ホアハオ教

新年の祭りは旧暦で行う

 

カンボジア:上座仏教が国教。もともとヒンズー教の影響を受けた大乗仏教が主流だったが、13世紀以降タイの影響を受けて上座仏教になった。

アンコールワットは12世紀建築当時はヒンドゥー寺院だったが仏教寺院になった

かつてポルポト政権による寺院破壊や僧の虐殺が行われた。

1993年に初めて僧侶が投票し話題。

 

スリランカ:上座仏教70%・ヒンズー15%

仏陀の誕生日を祝うウェーサク祭が行われる。選挙に立候補し国会議員となった僧侶がいる。

16世紀の植民地氏はによりサンがは消滅したが、18・19世紀頃にタイやミャンマーから比丘を招きサンガを復興し、現在のいくつかの宗派が形成さた。しかし1815年の王国廃止により国王のサンガ支援もなった。

 

タイ:上座仏教。国王は宗教の擁護者であると憲法に定められている。

一生に一度出家するのが好ましいという考えがあり、短期間僧院で生活する一時出家がある。

開発僧という社会問題に取り組む僧侶がある

公立学校でも仏教学習。僧侶が選挙や政治に関わることは禁じられている。

 

ミャンマー:上座仏教が一国で最も多い

軍事政権に反対してデモを行う僧侶

ロヒンギャ族という少数のイスラム民族が国外へ脱出している。

バガン遺跡という仏教遺跡。

 

ブータン:チベット仏教 仏教が国教

 

ラオス:上座仏教

 

イスラム教が主流

サウジアラビア:イスラムが国教でヒジュラ暦が公式の暦

地方議会に女性の政治家がいる

 

アフガニスタン:イスラム教が多数。バーミヤン仏教遺跡がある。

 

アラブ首長国連邦:イスラムが国教

 

インドネシア:世界最多のイスラム教信徒数を誇るが、政教分離の体制がとられクリスマスも祝日となっている。

ボロブドゥール遺跡は8世紀の大乗仏教寺院

 

トルコ:スンナ派が大半だが、政教分離がとられる

 

マレーシア:イスラム教が国教で6割がイスラム教。ただし仏教・キリスト教・ヒンドゥー教もある

政府のイスラム教保護制度に不満あり イスラムの祭りだけでなく仏教のウェサックやキリスト教のクリスマスも祝日

第二次世界大戦後マラヤ大国からマレーシアとシンガポールに分裂

 

シンガポール:仏教33%・イスラム教14% 洛陽大伯公宮では仏・道・ヒンズー寺院が同居

 

ブルネイ:イスラム教が国教

スルターンの称号を有した国王が国家元首

 

イラン:シーア派が国教

アヤトラホメイニはイラン革命の指導者でイランにおけるシーア派の十二イマーム派の精神的指導者

バハイ教というイスラムの影響を受けた宗教が発展した 革命以前は親米国家でテヘラン大学ではミニスカートをはく女子学生もいた

 

イラク:シーア派が多数

 

バングラディシュ:イスラムだが少数の仏教徒あり

 

パキスタンイスラム教が国教

 

欧米

欧州人口の4.9%(約2,500万人)がムスリム

アメリカ:プロテスタントが5割を切ったが未だ多数派

20世紀以降キリスト教原理主義に基づくキリスト教右派の政治影響力が強く、中には進化論を否定する者もいる。

政教分離とは政治と教会の分離を指すと解釈され、大統領は聖書の上に手を置いて宣誓する カトリック系の大統領はケネディとバイデンの2人 WASP(ホワイトアングロサクソンプロテスタント)アメリカ社会の中軸を築いてきた人々の民族的背景と宗教的背景を示す言葉。米国は自由平等が建前だが、実際には民族や宗教などに見えない社会的序列がある。火葬も50%と受け入れられつつある。

カナダ:カトリックよりプロテスタントが少し多い。ケベック州はカトリック信者が多い。

オランダ:カトリック20%・プロテスタント14% 無神論者が多い

イギリス:英国国教会が国教 これはアングリカンチャーチ、日本では聖公会と呼ばれる

国教会はプロテスタントに含められるがマリア信仰や偶像崇拝を許していることなど儀礼はカトリックに似ている。1534年はカトリック教会との断絶後のイングランド教会は国王の交代によってプロテスタントになったり、カトリック教会に戻ったりと、不安定な時期が続いた。1558年に即位したエリザベス1世の治世に、ようやくその骨格が確立。、国王がイングランド教会の「唯一の最高統治者」であると規定しイングランド教会
がカトリック教会とは異なる国王を頂点とした独立した教会であると定めた。英国国教会の総本山はカンタベリー大聖堂 主要なものには11世紀のウェストミンスター寺院がある。

イスラム教6.3%

フィンランド:ルター派が国教

デンマーク:ルター派が国教

ノルウェー:ルター派が国教

スウェーデン:ルター派が国教

フランス:徹底的な政教分離(ライシテ) カトリック

フランスでは18c末の革命以降、教会で結婚式を挙げたカップルでも民事婚を経ていない場合は法的に婚姻関係が認められなくなった。ヨーロッパでもっともイスラム教徒が多い。

ギリシャ:東方正教会が国教

ドイツ:ルターの出身でプロテスタントが3割だが、カトリックも同じくらいいる。

教会に属している人は教会税を徴収される。トルコからのイスラム教徒の移民が多い。

ベルギー:カトリック75% プロテスタント25% イスラム7.6%

アイルランド:カトリック

ポーランド:カトリック90パー

ルーマニア:東方正教会

ロシア:正教会 カトリックの秘跡にあたるのがロシア正教会では機密と呼ばれるものであり、結婚式も機密の一つ。シモノフ修道院、フェラポントフ修道院 、 15世紀のソロヴェツキー修道
院、16世紀のノヴォデヴィチ女子修道院 ロシア正教会はソ連時代に活動を制限されていた

ウクライナ:2018年ロシア正教会から影響を受けてウクライナ正教会ができた。これが最大。

 

南米・アフリカ・オセアニア

南米やカリブの国々はスペイン統治の影響カトリックが多い

アルゼンチン:カトリックが国教

ブラジル:カトリックだがプロテスタント福音派が増えている

カーニバルは復活祭前の四旬節に入る前に行われる謝肉祭で西方キリスト圏で広がったもの

カンドブレというアフリカの民族宗教がルーツでオリシャという神を崇拝する宗教がある。信教の自由あり

キューバ:サンテリアというオリシャ信仰とカトリックの融合した宗教がある

メキシコ:死者の日が盛大におこなわれる

ジャマイカ:ラスタファリ運動とは1930年代のジャマイカ黒人がエチオピアの皇帝を崇拝したアフリカ回帰運動でレゲエ音楽と繋がる。ラスタファリ運動は旧約聖書の影響を受けている。

オーストラリア:カトリック

ニュージーランド:カトリック

ペルー:81%カトリック

タンザニア:キリスト教49%、イスラム教40&

 

アフリカ

サハラ砂漠以北と東海岸はイスラム圏 以南はキリスト圏

スーダン:南スーダンが独立したが、これは北部のイスラム教と南部のキリスト教の対立による。ダルフール紛争ではアラブ系の民兵が非アラブ系住民の虐殺を行った。

エジプト:イスラムが国教 古代は多数のエジプト神を祀った ムスリム同胞団

エチオピア:キリスト教正教会 アレクサンドリアを経由して4世紀にキリスト教が伝わり北アフリカのイスラム化以前のキリスト教会がある キリスト教が6割(エチオピア正教44パー プロテスタント19パー)

ナイジェリア:イスラムとキリスト教が半々 国内で対立あり 反西洋を掲げるポコハラムは北部で形成された

アルジェリア:99%イスラム教徒

チュニジア:イスラム

モロッコ:過半数がイスラム教スンナ派

ベナン:ブードゥー教が国教。これはカリブへの強制連行をもとにベナンの伝承とカトリックが混ざったもの

 

紛争について

パレスチナ紛争:1948年イスラエル建国によりパレスチナ難民が生まれたことに起因 ユダヤとイスラムの対立

北アイルランド紛争:北アイルランドがイギリスから独立を求める運動 カトリックとプロテスタント(英国国教会)の対立。麦の穂をゆらす風ではアイルランド独立紛争を描く。

カシミール紛争:イギリスの植民地だったインドとパキスタンのカシミール地方帰属問題 ヒンズーとイスラムの対立

ボコハラムのテロ:「西洋式教育は罪」という意味で、ヨーロッパキリスト教への批判に関わる

クルド問題:クルド人は独自の言語,文化をもつスンニー派イスラム民族 で,オスマン帝国解体後独立国家の樹立を求めたが認められず各国に居住地を分断され,いずれの国においても少数民族と化した

スリランカ紛争:シンハラ人(上座仏教)と LTTEを組織するタミル人(ヒンズー教)の争い。イギリスのプランテーション政策が影響。

ミンダナオ独立運動:カトリック圏であるフィリピン内のイスラム教地域が自治権を得ようとして行われた。

ユーゴスラビア紛争:クロアチアとセルビアの紛争

 

聖地

東大寺:華厳宗の本宗で大仏は盧舎那仏

アンコールワット:カンボジア もともとヒンドゥー教寺院だったが仏教寺院になった

タージマハル:インド。モスクが付随している

アヤソフィア:トルコ 13世紀は正教会とカトリック教会の時代を繰り返し、15世紀以降のオスマン帝国時代にはモスクに。その後美術館とされたが2020年から再びモスクに。

システィーナ礼拝堂:ヴァチカンの礼拝堂でミケランジェロの最後の晩餐が有名

聖ヤコブ大聖堂:クロアチア カトリック教会

グアダルーペの聖母出現譚:ローマ・カトリックから公認 褐色の肌の聖母 メキシコを中心に崇敬

ケルン大聖堂:ドイツ カトリック ゴシック様式 現在三代目で初代は4世紀にできた

カンタベリー大聖堂:イギリス国教会

シャルトル大聖堂:フランス フランスゴシック様式のカトリック教会 ただし現在はロマネスク様式

ルルド:フランス 聖母マリア出現の際に湧き出た泉で癒しの泉とされ19世紀から知られるようになった

ウェストミンスター大聖堂:ロンドン カトリック

サンティアゴコンポステーラ:ヤコブが出現したとして有名になり、やがてキリスト教カトリックの聖地となった

ファティマ:ポルトガル 三人の子どもに聖母が出現してメッセージを与えた

アトス山:女人禁制 ギリシャ正教の聖地

ノートルダム大聖堂:ヴィクトルユーゴ―の小説『ノートルダムのせむし男』の舞台

メッカとメディナ:サウジアラビア

カアバ神殿:メッカ

平等院 かつては天台宗と浄土宗だったが現在はどの宗派にもよらない

法隆寺の夢殿には国宝の救世観音像がある。

八坂神社 もともと興福寺と延暦寺に帰属し祇園社や感神院と呼ばれた、八坂神社とされたのは明治の神仏分離以降

同志社大学 カトリックの大学で新島襄が創立

ICU 超教派

 

日本の宗教制度と習俗

戦前は宗教団体法のもとで統制、戦後は宗教法人法のもとで認証制度。現在は宗教法人になるには文科大臣の認証が必要

来訪神:毎年に決まった時期に人間世界に来訪する。岩手のスネカ、秋田のナマハゲ、沖縄の豊年の祭りに現れるアカマタ・クロマタ

初のハッジは戦前の山岡光太郎

日本の聖書はカトリックやプロテスタントなどの聖書学者が共同でつくったもの

長崎の教会はオランダからきたものでカトリックのものがほとんど

五島列島の教会は19cのもの

19世紀後半に来た宣教師はアメリカのプロテスタントが多い

日本基督教団はプロテスタント複数の合同で設立された

プロテスタントの宣教師の来日は19世紀後半 以降の宣教師はほとんどプロテスタント 明治以降に本格化

日本基督教団は昭和の国策で様々なプロテスタント系が合同してできた

東方正教会は幕末にロシアのニコライによって伝えられる

プチジャンは大浦天主堂の神父

宗教者でも国立大学教員になれる

受刑者に対する教戒活動 1908年に始まり2006年に法改正 仏教→キリスト教→神道 新宗教もある

各宗教団体の信者の総計は日本の総人口を超えている。名目上の信者数と実数との差は神社神道が大きく、キリスト教系は実数に近い

遠藤周作『沈黙』キリスト教カトリック 島原の乱を描いた

倉田百三『出家とその弟子』

吉田兼好『徒然草』仏教思想

 

大学

国際基督教大学は第二次世界大戦後に超硬派のキリスト教大学として設立された。

札幌大谷大学 浄土真宗

天使大学・清泉女子大学・白百合女子大学・聖マリアン学院大学・同志社大学・上智大学(イエズス会)・南山大学はカトリック

立教大学・青山学院大学・明治学院大学・西南学院大学はプロテスタント

東日本大震災を機に臨床宗教師養成講座が設置された

 

 

葬儀/墓地について

近年は宗教儀礼を行わず火葬を行う直葬が注目。日本は江戸時代は土葬だったが明治以降火葬が普及

火葬が一般的だが土葬も法律上禁止されていない。

遺骨は決められた場所に埋葬することが決められているが散骨や樹木葬は許容範囲

宗教法人は納骨堂または火葬場を経営できる。私有地に墓地を作ることはできない。

 

 

近代までの結婚式は家を中心として、宗教形式をとらなかったが1990年代半ば以降からキリスト教式が一般化。ただし近年は宗教形式を取らないものも多い。仏教関係者の間では仏教式もある

平安時代から江戸時代まで崩御した天皇は御所内の「お黒戸」と呼ばれる仏間において仏教形式で供養されていたが明治天皇以降は神道式になった。京都の泉涌寺には1242年四条天皇が行われ、孝明天皇まで続けられた。

 

神前結婚式 大正天皇が皇太子時代に皇居の賢所で結婚式を行って以降普及した。1980年代は神前式が最も多かったが21世紀になってからはキリスト教が最も多くなった。

三々九度で新郎新婦がお酒を酌み交わす。これは武士の習慣にから考えられたもの。一の盃(小)男→女・二の盃(中)女→男・三の盃(大)男→女

宗教色のない結婚式は人前式という

 

日本初の世界遺産は法隆寺

皇室典範に即位礼についての規定はあるが大嘗祭についての規定はない

世界平和の祈りの集い 1986教皇ヨハネパウロ2世の呼びかけでイタリアのアッシジにて開催

1980年代日本では比叡山で宗教サミットが開催されるようになった

1970年970年に諸宗教の対話と平和協力を目指して立正佼成会が中心になって世界宗教者平和会議(WCRP)も結成。これは国連の機関ではない
ここには主要宗教だけでなく世界の新宗教団体がいくつか加わっている。韓国の円仏教、イスラエルに本部があるバハーイ教など。

 

七福神と外来の仏教の神

恵比寿 唯一日本の神 事代主神や蛭子と同一視 もともと漁業の神で商売繁盛と五穀豊穣の神

大黒天 インドヒンズーのシヴァ神の化身マハーカーラ神 大国主神の習合

毘沙門天:インドヒンズーのクベーラ神 福徳増進 仏教に取り入れられてから戦いの神

弁財天:インドの女神サラスバティー 仏教に取り入れられ音楽弁才財福知恵の徳がある 市杵嶋姫命

福禄寿:宋 道鏡の道士天南星 長寿と福禄

寿老人:道教の神で南極星の化身 日本では白鬚明神(猿田彦)

布袋:唐の禅僧 財 弥勒菩薩の化身

韋駄天:インドヒンズーのスカンダ神

吉祥天:ラクシュミー

歓喜天(聖天)

ブラフマン インド ブラフマン

帝釈天 ヒンズー インドラ神

クリシュナ:ブッダと同一

クンビーラ:ガンジス川のわにを神格化したもので、日本では金毘羅さん

 

節句

3/3 上巳の節句

5/5 端午の節句 鯉のぼりや流鏑馬

7/7 七夕 中国の牽牛・織姫の伝説に基づく

9/9 重陽の節句 菊の節句 ゆず風呂に浸かる

 

文学・芸術

ホメロス『イリアス』=ギリシャ トロイア戦争の英雄あきれ椅子の物語

 

シェイクスピア『ヴェニスの商人』16世紀 ユダヤ人の金貸しの貪欲さ

ミルトン『失楽園』 17 キリスト教

トルストイ『イワンの馬鹿』 19 キリスト教

スタンダール『赤と黒』 19 キリスト教

ディッケンズ『クリスマスキャロル』 19 キリスト教

鴨長明『方丈記』 13 仏教

吉田兼好『徒然草』14 仏教

香川豊彦『死線を超えて』20 キリスト教

遠藤周作『沈黙』20 キリスト教 17世紀の日本のカトリック神父やキリシタンの苦しみを描く

三浦綾子『塩狩峠』20 キリスト教プロテスタント 自分の命を犠牲にして他人を助けた行為を描く

空海を描いた『空海』没後1150記念 『曼荼羅 若き日の弘法大師・空海』日中国交正常化20周年の日中合作

『親鸞 白い道』 『日蓮と蒙古襲来』、『日蓮』

道元を描いた『禅ZEN』

葬儀を通して現代の僧侶の姿をやや皮肉に描いた『お葬式』、納棺師に視点を当てた『おくりびと』

水墨画は禅宗で祖師の絵をかくものだが達磨を描いたものが有名

十牛図 悟りに至る階梯を牛を鳴らしていく会を10個書いて表す 宋代にできて日本に広まる

ダウィンチ 最後の晩餐15c末 受胎告知

ミケランジェロ 16c半ば 最後の審判←バチカンのシスティーナ礼拝堂 マリアが死んだイエスを抱くピエタの彫刻

アメリカで20c黒人霊歌やゴスペルが教会を離れて一般にも受け入れられる

仏教音楽を声明という

映画と登場人物

モーセ「十戒」

キリスト「奇跡の丘」「偉大なる生涯」「パッション」

パウロ「パウロ 愛と赦しの物語」

ムハンマド「ザ・メッセージ」

東欧に住むユダヤ人一家に降りかかる問題を描いたのが『屋根の上のバイオリン弾き』

浮世絵には神を書いたもの

 

偉人

ローマ教皇はローマ帝国の首都ローマの司教で、初代はペテロ

グーテンベルクが活版印刷技術を用いて初めて印刷した聖書は1545年のウルガータと呼ばれるラテン語聖書

ルター ローマ教皇を批判 信仰のみによって救われ、聖書のみが教典 すべての人が祭司(万人祭司)

マザーテレサ インドで神の愛の宣教者会設立

ぶっだ るたー 達磨 孔子 イエス ムハンマド

最初の現代的なホスピスケアは、1967年にデイム・シシリー・ソンダースによって作られた。

マザーテレサの修道会「神の愛の宣教者会」インドを中心に活動

ウィクリフは唯一の権威は聖書にあるとしてすべての幅員をラテン語から英語に翻訳。ミサにおいてパンとワインがイエスの肉と血を表すという考えを否定。これを支持したフス。

ネルソンマンデラ 南アフリカ大統領 キリスト教 就任式で禅宗教の指導者を読んで融和を図った

トルストイ ロシア正教 非暴力

ガンジー ヒンズー僧

西田幾多郎は『善の研究』などで知られるが、京都大学において宗教の哲学的研究について講義した

宗教学について

フェミニズムとの関係により伝統的な宗教解釈の中に女性の視点や経験が反映されていないことw\が問題視され、これに関連して宗教の教義や組織に関して性別以外にも人種や社会集団による階層化が問題視されるようになった。

21世紀になって国際認知宗教学会が設立されたゆおに、認知宗教学は注目されてきている。

宗教多元主義 さまざまな宗教は究極的な真理が違った姿が表現されたものであり、それらは同様の価値をもつとする立場でどの宗教であってもそれが究極的な真理そのものであるという特権的な地位を主張することはできないとする立場。

予言が失敗しても予言者を信じ続ける現象を説明するときには認知的不協和理論を用いることが多い

組織の在り方の違いで宗教教団を分ける教団類型論

 

シャーマニズム 脱魂型と憑依型の二つに分ける説がある

召命型は病気をきっかけとする場合も多い 女性が多い

予祝儀礼 良い結果が生まれることを願って行う

通過儀礼 人生儀礼のように一生の節目に関わる儀礼や新しい集団に入る際の儀礼

消極的儀礼 一定の行為を控えることで望ましい結果を得ようとする

積極的儀礼

浄化儀礼

宗教多元主義

宗教学の分類

宗教人類学(宗教民俗学) 現地でのフィールドワークに基づく研究を行う 民俗学的な手法で宗教現象を研究する フレーザー・タイラー

宗教心理学 心理学的な視点から宗教現象を研究する ジェイムズ フロイト ユング

宗教社会学 宗教と社会の関係を研究する ウェーバー。デュケルム

宗教哲学 宗教の存在理由や宗教の本質について研究する

 

宗教学者

宗教学者間では未だ宗教の定義として承認されたものはない

タイラー 『原始文化』 文化の概念について論じるとともにアニミズムについて論じる人類学者 宗教とは霊的な存在や人間を超えた力 霊的存在への信仰という要素があらゆる文化にあてはまる宗教の最小限の定義

フレーザー 『金枝篇』 未開社会の神話や呪術について 宗教とは霊的な存在や人間を超えた力 民俗学・人類学的研究

呪術を類感呪術(類似した者は相互に影響しあex.雨ごいに黒煙を上げる・雷を連想させる鉦を叩く)と感染呪術(一度接触した者同士は離れた後も影響しあう)に分類

ベラー 『徳川時代の宗教』 日本における近代化と宗教の関係について

デュルケム 『宗教生活の原初形態』 宗教現象の本質について 宗教とは聖なるもの 聖俗の観念、儀礼、教会の3つから宗教を定義すべきとした

フレーザー 『金枝篇』呪術は合理的な思考ではなく共感によって成り立つ

類感呪術(模倣呪術)=似たものは似た結果を生む ex.丑の刻詣り

感染呪術=接触したものはその後も相互に影響し合う ex.歯をそれぞれ窓から上下に投げる

オットー 『聖なるもの』 聖なるものに対する体験があるとしてヌミノーゼという概念 宗教とは聖なるもの

ウィリアム・ジェイムズ 心理学的研究 心理学の観点から宗教現象を研究 病める魂

レオン・ファスティンガー 教祖が予言を外した場合ても信仰をやめない人が多い理由を認知的不協和理論を用いて説明

チャールズロック 宗教に目を向ける契機を5つの剥奪状況として整理したが、ここでの剥奪感は他者と比較した上で認知される相対的なものを指している

パーソンズ 宗教と社会の変化について研究した 宗教社会学

タイラー 『原始文化』アニミズム

ベラー 『徳川時代の宗教』 宗教の近代化

ジクムント・フロイト 人間の無意識に着目したフロイトの精神分析学 宗教を一種の神経症とみなす

マックスミュラー アフリカ宗教について長年の研究をもとに物に宿った霊力を信じることが宗教の本質であると述べた 社会学的研究 言語学の観点から神話を比較した神話学 古代人の天体や自然現象に対する解釈が神話に反映している

マックスウェーバー プロテスタントの他、道教・儒教・ヒンズー教・仏教のような東洋宗教に目を向ける『支配の類型』、『宗教と経済倫理』

ゲオルク・ジンメル:形式社会学 宗教組織における問題を考察

ピーター・バーガー:『聖なる天蓋』で社会と文化の諸領域が宗教の支配から離れていく過程を論じた。

ヨアヒム・ワッハ:宗教集団のタイプは合致的宗教集団と特殊的宗教集団の二つに分けられるとした

柳田国男 民間伝承を採集研究し日本民俗学の基礎を築く

折口信夫 柳田国男の弟子

姉崎正治 東京帝国大学の宗教学講座初代教授

西田幾多郎 京都帝国大学で教鞭をとった哲学者で『善の研究』

古野清入 宗教社会学・人類学者 デュルケムをはじめとするフランス宗教社会学を日本に紹介

 

世界の神話

ギリシャのホメロスの『イリアス』はあきれウルを主人公とするトロイア戦争の物語

インドラを話題の軸とする『リグ・ウェーダ』インド 紀元前2500~1500 インダス文明より前

『ギルガメッシュ叙事詩』メソポタミア

サムソン登場の『士師記』は旧約聖書の一書

ヴィーナスの誕生 ルネサンス期にポッティチェリが描いた絵画

 

 

自然葬 海や山などの自然に返す

樹木葬 遺骨を埋めて木を植える 韓国では2人に1人が選択

鳥葬 チベットとゾロアスター教(イランなど)の地域

獣葬 アフリカ マサイ族

 

婚姻制度についてイスラエルもアメリカも行政婚。イスラエルでは異教徒間の婚姻も可能。宗教機関による結婚は認められない。

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