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氏というものが持つ意味
氏姓制度とは
氏神とは何かを説明する前にまず「氏」というものを説明しなければなりません。
大和政権下では、皇族・有姓階級・公民階級・部民階級・賤奴階級に分類されていました。
・有姓階級とは氏と姓を有する貴族ともいえる階級でありました。
- 氏というのは中臣、忌部、藤原、清原、源、平、物部など血縁関係を表すものです。
- 姓とは臣・連・国造・伴部・県主など朝廷内の立場を表すものです。
姓は大化の改新後、官史登用制の改革があって世襲は必ずしも認められなくなり、単なる称号となっていきます。
また、奈良・平安時代になると有力氏族による官職の独占が行われるようになり原則的には官職は有姓階級の世襲制となったため、この時代にはさらに姓の持つ意味はなくなったといえます。
・公民階級は農業従事者で直接納税義務を負う階級です
彼らは家の名や村の名を後世でいう苗字のようにしていました。
ここから先の部民階級と賤奴階級は差別をされていた階級です。
・部民階級は技術や労務を提供する者で直接納税の義務は負わない階級で、
品部と部曲の二つに分類できます。
品部とは朝廷から任ぜられた伴緒(伴造)という有姓階級に技術や労務を提供するするものをいいます。
部曲とは貴族や有姓階級が私有する私的な労働者をいいます。
氏姓制度の崩壊
大化の改新後は公地公民制の導入により、部曲は公民に編入されます。
また、有姓階級は同じ氏すなわち血族で集落を形成していた場合と複数の氏で集落を形成していた場合が考えられます。
血族で集落を形成する場合は近親相姦が行われることになってしまい、結局ほかの人間を入れざるを得ません。時の流れと共に階級間の混血がすすみ、国民の多くが氏を持つようになり、有姓階級の特権は失われ、氏族が祀る神は多様化していくのです。
氏神とは ~氏神の定義の変遷~
氏神とは本来、古代の氏という血縁関係によって共同祭祀された神、
すなわち氏族が祀る神を意味しており、本拠の外に移住することがあっても祭日には氏神神社に集まるということが行われていたと考えられます。
ここでは1氏神1氏子関係が基本的な形でした。
しかし、中世になると血縁的結合が弱まっていきます。
なぜなら、鎌倉時代は分割相続が主流だったからです。
分割相続が行われると家は相続のたびに小さくなっていってしまいます。すると、小さな家が乱立するようになり血縁関係より地縁関係が重視されるようになったのです。
この頃から氏族の神の祭祀の他に、地域という共同体による共同祭祀が行われるようになりました。これにより、氏神・産土神・鎮守神の混同が始まり、1氏神多氏子関係に変化し始めました。
近世になると中世の考えがさらに浸透し、自分が生まれた土地の神(産土神)を氏神と呼ぶようになり、氏神というのは氏子という地域の共同体によって祀られる神を指すようになったのです。

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氏神はどう決められたか
大化の改新以前は官職は世襲されるものであったため世襲の祖先を祀ることが一般でしたが、
他にも
地方を治める際にその土地の守護神を祀る場合や
職業の守護神を祀る場合があり、一概に氏神と言っても多くの成り立ちが考えられます。
祖先神氏神型
中臣氏と天児屋根命
中臣氏は天児屋根命を祖先としています。
中臣氏をルーツに持つ藤原氏は春日大社を氏神としており、春日大社には枚岡神社に祀られる天児屋根命を迎えています。
職域神氏神型
物部氏と建御雷神
軍人を率いたとされている物部氏は布都御魂大神を祀る石上神宮を氏神としています。
中臣氏と建御雷神
中臣氏は一族が鹿島神宮に奉仕していたとされており、鹿島神宮と同様に武甕槌命を祀る春日大社を氏神としています。
地縁神氏神型
移住した際に、その移住先の神を氏神とする場合がこれにあたります。
秦氏と大山咋神(松尾大社のご祭神)
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