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大祓の由来
大祓とは日々の生活でついた穢れを年2回(6月末と12月末)祓い清めるために行います。
これは黄泉の国から帰った伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(現在の九州か?)で穢れを落としたことに由来します。

大祓の歴史は古く、古事記の記述では
神功皇后が神懸りし、「海の向こうにある朝鮮の地に向かえ」との神託を受けた際、これに反抗した第14代仲哀天皇が崩御したときにも行われたとされており、古代から国家祭祀として行われていたことが伺えます。
その時の文章を引用しておきます。(読みづらいので飛ばしてくださって結構です)
更に国の大奴佐を取りて、生剝(生きたまま動物の皮を剥ぐこと)、逆剝(異常な皮の剥ぎ方をすること)、あ離ち(田をこわすこと)、溝埋(水路を埋めること)、屎戸(祭場に大便をすること)、上通下通婚(親子の姦淫)、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚(獣姦)の罪を列挙して、国の大祓して・・・
大祓の意味
祓という字は通常「はらい」と読むことが多いですが、大祓と書いた場合は「おおはらえ」と読むことが多いです。
単に祓というのではなく「大」という文字を加えているのには「大」とは公という意味を持っており、社会全体のための行事として行われていたからです。記紀などの歴史書にも国家祭祀として大祓が行われていたことが記述されており、全国の神社で行われているのも社会全体の安寧に奉仕するためとも言えます。
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大祓詞とは:全文と訳と解説

大祓詞は中臣の祓詞とも呼ばれますが、なぜこのように呼ばれるかというと、
日本書紀において中臣氏の祖神である天児屋命が、天照大神が天の岩戸から出られた際、岩戸隠れの原因をつくった須佐之男命の罪を祓うために「解除の太諄辞」を宣らせたとされているからです。
古代では大祓当日の午前には内裏で天皇・皇后・皇太子の穢れが落とされ、午後には朱雀門で親王や民衆の前で中臣氏が大祓詞を読み、罪を払われました。
かつては伊勢流、吉田流、白川流など流派によって相違がありましたが、明治以降に統一されて現在の形に至っています。
最後に大祓で実際に唱えられている大祓詞を紹介して終わりたいと思います。

仮名交じり文
第一段
- 高天の原に神留まります皇が睦神漏岐・神漏美の命以ちて
- 八百万の神等を神集へに集へ給ひ神議りに議り給ひて
- 我が皇御孫の命は豊葦原の瑞穂の国を安国と平らけく知ろし召せと言依さし奉りき、
- 斯く依さし奉りし国内に荒ぶる神たちをば
- 神問はしに問はし給ひ神掃ひに掃ひ給ひて
- 語問ひし磐根・樹根立ち草の片葉をも語止めて
- 天の磐座放ち天の八重雲を厳の道分きに道分きて
- 天降し依さし奉りき。
現代語訳
- 高天の原にいらっしゃる男女の神のお言葉によって、
- 八百万の神が集められ、会議を行い
- 瓊瓊杵尊は豊葦原の瑞穂国(この世界)を平和に治めなさいとおっしゃった。
- 荒ぶる神は
- 次々に問い正され、次々に掃いのけられ
- 騒がしかった草木も ものを言うことをやめさせて、
- 天上の御座所を後にし、空の多くの雲を掻き分けて
- 天上からこの世界に降臨なさった。
第二段
- 斯く依さし奉りし四方の国中と大倭日高見の国を安国と定め奉りて
- 下つ磐根に宮柱太敷き立て高天の原に千木高構りて
- 皇御孫の命の瑞の御殿仕へ奉りて
- 天の御陰日の御陰と隠り坐して安国と平らけく知ろし召さむ
- 国内に成り出でむ天の益人等が過ち犯しけむは
- 種々の罪事は天つ罪・国つ罪幾許だくの罪出でむ。
現代語訳
- 地上の国の中心として大和の国を定められ
- 地下の大きな岩に太い柱を立てて 高天の原に向かって
- 瓊瓊杵尊の宮殿をお造り申し上げ
- 瓊瓊杵尊はここに住み、平和な国としてお治めになった。
- 国の中に生まれてくる人間が 過ち犯す罪には
- 天つ罪や国つ罪などの多くの罪が出てくるだろう
第三段
- 斯く出でば天つ宮事以ちて
- 天つ金木を本うち切り末うち断ちて
- 千座の置き座に置き足らはして
- 天つ菅麻を本刈り断ち末刈り切りて八針に取り裂きて
- 天つ祝詞の太祝詞言を宣れ。
- 斯く宣らば天つ神は天の磐門を押し披きて
- 天の八重雲を厳の道分きに道分きて聞こし召さむ。
- 国つ神は高山の末・低山の末に上り坐して
- 高山の伊褒理・低山の伊褒理を掻き分けて聞こし召さむ。
現代語訳
- このように多くの罪が出てくれば 天から伝わった儀式に従って
- 金属のように硬い木を切り 根本を打ち断って
- 台の上に置いて
- 管(すげ)の根元を刈りとり 根本を刈りとり 細かく裂いて
- 天の立派な祝詞を読みなさい
- このように祝詞を奏上すれば、天つ神は天の岩戸の扉を開けて
- 幾重にも重なる雲を掻き分けて お聞きになるでしょう
- 国つ神も高い山や低い山の頂上に登って
- 雲を掻き分けて お聞きになるでしょう
第四段
- 斯く聞こし召してば罪といふ罪はあらじと
- 風な所の風の天の八重雲を吹き放つことのごとく
- 朝の御霧・タの御霧を朝風・タ風の吹き払ふことのごとく
- 大津辺に居る大船を舳解き放ち艦解き放ちて
- 大海原に押し放つことのごとく
- 彼方の繁木が本を焼鎌の利鎌以ちて打ち掃ふことのごとく
- 遺る罪はあらじと
- 祓へ給ひ清め給ふことを
- 高山の末・低山の末より さくなだりに落ち激つ
- 速川の瀬に坐す瀬織津比売といふ神
- 大海原に持ち出でなむ。
- 斯く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売といふ神
- 持ちかか呑みてむ。
- 斯くかか呑みてば息吹き処に坐す気吹戸主根
ね の国くに ・底そこ の国くに に息吹いぶ き放はな ちてむ。 - 斯
か く息吹いぶ き放はな ちてば根ね の国くに ・底そこ の国くに に坐ま す速流離比売はやさすらひめ といふ神かみ - 持
も ち流離さすら ひ失うしな ひてむ。 - 斯
か く流離さすら ひ失うしな ひてば罪つみ といふ罪つみ はあらじと祓はら へ給たま ひ清きよ め給たま ふことを天あま つ神かみ ・国くに つ神かみ 八百万やほよろづ の神かみ たち共とも に聞き こし召め せと白まを す。
現代語訳
- これを神々がお聞きになったならば 罪という罪はなくなり
- その様子は風が幾重にも重なる雲を吹き飛ばすようで
- 朝の霧も夕方の霧も 朝の風、夕の風が吹き飛ばすようで
- 大きい港に居る船を解き放って
- 大海原へ押し放つようで
- 遠く向こうの茂った草木を焼き入れをした鋭利な鎌で刈りとるように
- 残る罪はなくなるでしょう
- このように祓い清めた罪は
- 高い山や低い山の頂上から 流れ落ちる
- 流れの速い川にいらっしゃる瀬織津比売(せおりつひめ)という神が
- 大海原までもっていくだろう
- そして激しい沢山の潮流が渦をなしているところにいらっしゃる速開津比売(はやあきつひめ)という神が
- 飲み込むだろう
- それを息として吹き出すとことにいらっしゃる 気吹戸主(いぶきどぬし)という神が 根の国・底の国に吹き放つと
- 根の国・底の国にいらっしゃる速流離比売(はやさすらひめ)という神が
- それをすっかりなくしてしまうだろう。
- このように罪や穢れを祓い清めていただきますことを、謹んでお祈り申し上げます。
解説
第一段
この段落では「八百万
もともと伊弉諾尊・伊弉冉尊がこの世界を創った後、天照大神ら三貴子をお産みになった後もそれぞれ高天の原・夜の国・海原を治めさせており、この世界の統治者を決めることはしませんでした。
そこで高天原で多くの天つ神が会議をすることで、この世界の統治者を決定しようとするわけですが、「集へに集へ給へ」、「議りに議り給ひて」と同じ言葉を重ねること何度も何度も検討を重ねたことが示されているのです。
次に豊葦原の瑞穂の国や八百万神が目指した安国とはどのような国なのか。豊葦原の瑞穂の国とは葦の穂の豊かにめでたく生いしげる国すなわち稲が豊かに実り栄える国という意味です。
神漏岐命・神漏美命はこの国を稲が豊かに実る国にしましたがそれだけでは十分ではないということです。ではそれ以上にどのようなことを高天原の神々は望んでおられるのかというと、罪や穢れがなく平和で安泰な国でしょう。生活が豊かになるとするべきことをおろそかにしてしまうのは現代人も古代の人も同じです。与えられた生活にあぐらをかくのではなく、秩序を保って生活することで豊葦原の瑞穂の国をさらに反映させていくことが必要なのです。
第二段
「斯
皇御孫命の力では豊葦原の瑞穂の国すべてを安国とすることができないため、民が協力し合うことが重要ということです。事実、神武天皇の東征以降、数代にわたっても国土すべてを統治することは叶わず日本は荒れた状態が続きました。これも我が国の安寧のためには社会の清浄、さらには社会の構成員である私たちの清浄と協力が必要であるということを示すものです。
また、スサノオが高天の原で罪を起こしたように神も罪を犯しうるのであるから、我々人間が罪を犯してしまうのも当然であるともいえます。
したがって、天つ罪・国つ罪といったすべての罪を反省し生かしていくことが最も重要であると言えるのです。
第三段・第四段
この段には罪・穢れが払われる方法について述べられており、「天
さきほども述べたように、神であっても罪を起こしてしまうのだから人間が罪を犯してしまうのも当然であると言えます。
しかし、それらの罪を放置しておけば安国を作り上げることはできません。そこで天津祝詞奏上し、八百万の神にお願い申し上げればすべての罪を祓い清めてくださるということです。
大祓詞の覚え方
大祓詞はご覧の通り長く覚えることは難しいように思うかもしれません。
実際、覚えようとしてみると非常に苦しいです...(笑)

ポイントの1つ目
大祓詞は単なる文章の羅列ではなく物語になっています。文章を長々と覚えようとするのではなく、1つの物語として暗唱することが重要です。多くの場合は大祓詞を上記のように4つの場面に分けることが多いです。また、吉田神道では大祓詞を12個の場面に分けて考えています。(たとえば1場面目は1段落目1~3)
さらに、解説を読むことでより大祓詞が言わんとすることを理解しやすくなります。以上のように考えることで、物語のイメージをつかみやすくなるのでお勧めです。
ポイントの2つ目
何度も何度も唱えることが重要です。
大祓詞は6月と12月の末に唱えるものと思われがちですが、伊勢の神宮では祈年祭や神嘗祭、新嘗祭などの神事の前月にも必ず大祓が行われており、一年中唱えることのできるものです。
また、罪・穢れは知らず知らずのうちに身に着けてしまうものです。年に2回なんて言わずに、いつでも何度でも大祓詞を唱えることで自身を見つめ直し、心身を清浄に保つことが自分自身のため、さらには社会全体のためにもつながっていくと思います。
