伊勢の神宮の内宮(皇大神宮)域内には荒祭宮という天照大御神の荒御魂をお祀りしている別宮が存在しています。この神についていくつかの文献では天照大御神の荒御魂は大祓詞にも現れる神と同一であると記述されています。また兵庫県に鎮座する廣田神社も荒祭宮と同様の神を祀っているとされています。今回は伊勢の神宮の荒祭宮と廣田神社の御祭神について紹介していきます。
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目次
伊勢神宮が荒祭宮の御祭神を天照大御神の荒御魂と説明する根拠『皇太神宮儀式帳』『延喜太神宮式』
現在、伊勢神宮のWebサイトや立て看板などの掲示されている情報を確認すると荒祭宮の御祭神は天照大御神荒御魂とされています。まずはその根拠となる記述を示す文献として『皇太神宮儀式帳』と『延喜太神宮式』の内容を紹介します。
『皇太神宮儀式帳』
荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 大神宮の荒御魂宮と称す。御形鏡にて坐す。
『延喜太神宮式』
荒祭宮一座 大神の荒魂
以上が荒祭宮の御祭神について記した資料です。
どちらも天照大御神の荒御魂をお祀りしていると説明していることが分かります。
また、荒祭宮はもともと正宮と同一域内に鎮座しておりそれが分かれたという由緒からも天照大御神の荒御魂をお祀りしていることを理解できます。
荒祭宮の御祭神である天照大御神の荒御魂は大祓詞に現れる瀬織津姫神と同一であるとする『御鎮座次第記』『倭姫命世紀』『日本書紀』の記述
伊勢の神宮について記した中世の史料である『御鎮座次第記』や『倭姫命世紀』では天照大御神の荒御魂の正体について以下のように記述されています。
『御鎮座次第記』
荒祭宮一座 天照大孁貴の荒魂霊 御形鏡に坐す
天照荒魂亦は瀬織津比咩神と名づく。
『倭姫命世紀』
荒祭宮一座(皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり)
一名、瀬織津比咩神、是也、御形は鏡に座す。
と記述されており、伊弉諾尊が黄泉から帰り、海で禊を行った際に生まれた神である八十枉津日神と同一であるとされています。天照大御神の荒御魂と八十枉津日神、瀬織津姫神の同一説は『中臣祓訓解』にも示されています。
以下、『中臣祓訓解』を引用して紹介します。
『中臣祓訓解』
瀬織津比咩神(伊弉那尊の所化の神なり。八十枉津日神と名づくるは是れなり。天照大御神の荒魂を荒祭の宮と号づく。悪事を除く神なり。随荒天子は焔魔法王の所化なり。)
ここでは大祓詞に現れる瀬織津姫神と伊弉諾尊が禊で生んだ八十枉津日神は同一という説が示されていますが、これについてはこちらの記事で紹介していますのでご参照ください。
最後に日本の正史を示した書物と言われる『日本書紀』についても紹介しておきます。
『日本書紀』
「神風吹く伊勢の国の百伝う渡会の縣の五十鈴の宮に居ませます神、名は榊に宿る厳かな御魂、天疎(あまさかる)向かつ姫の命なり」
天照大神 誨へて曰はく
「我が荒魂、皇居に近づくべからず。当に御心 広田国に居らしむべし。」
ここに記されている広田国というのは現在の兵庫県西宮市を指しており、西宮市には廣田神社が鎮座しています。廣田神社も天照大御神之荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)をお祀りしており、創建については朝鮮半島への遠征を終えた神功皇后に天照大御神の荒御魂からこの国に留まりたいという託宣があったことが挙げられています。
瀬織津姫神を御祭神とするのは外宮の地位を高めようとする中世の伊勢神道の影響が強い
ここまで荒祭宮の御祭神が瀬織津姫神であるという説を紹介してきましたが、これについて記述している文献は基本的に中世のものです。
もともと内宮と外宮は友好的な関係にありましたが、朝廷は基本的に内宮を重視する傾向にあること、外宮先祭の習わしから外宮の方が内宮よりも上位にあるという考え方が外宮神職の度会氏によって唱えられたことによって伊勢神道が成立していきました。(伊勢神道と「神道五部書」について詳しくはこちらのページで紹介しています)
したがって、ここには朝廷との関係や政治的な要因が関係していることが指摘されており、中世の文献が神宮の本来の主張とは異なるということが考えられます。