憲政史上初の譲位が行われ新たな天皇陛下が誕生しましたが、即位後初めて行われる最も重要な儀式の一つに大嘗祭というものがあります。

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大嘗祭とは即位後初の新嘗祭
通常11月の卯の日には新嘗祭が行われることになっています。
このうち天皇の即位後初の新嘗祭を大嘗祭とし、7世紀ごろから新嘗祭とは異なる形式で盛大に祭儀が執り行われます。
この祭儀は新嘗祭と同様に収穫に感謝するとともに、古代からの即位のための儀式の形態をそのまま残したもので、新しい御代も国家が安泰で平和にあるようにという決意を新たにするものでもあります。
大嘗祭は大嘗宮を造営して行う
新嘗祭は宮中三殿とつながった神嘉殿で行われますが、大嘗祭では大嘗宮地鎮祭の儀が執り行った後に大嘗祭のために造営した大嘗宮で行います。
大嘗宮は南北55間、東西36間からなり、周囲を垣根で囲まれています。この建物は東西に分かれており東を悠紀院、西を主基院といいます。それぞれ皇后宮帳殿、神饌の供えられる帳殿、楽を奏上する楽舎、皇族方の参列する小忌幄舎などが設けられます。

悠紀院には悠紀殿、主基院には主基殿という建物があり、長野県産の「からまつ」による木造建築で、内部は内陣と外陣に分かれています。
いずれも樹皮が付いたままの黒木を用い、屋根には青草、壁には草や筵で覆われています。平安時代以前は床を張らずに草を束ねて敷いていましたが、平安時代以降は床がつくられ加えて階段なども作られるようになりました。
また、大嘗宮には膳屋と臼屋という建物が付属しており臼屋では脱穀精米して膳屋で神饌として調理することになっています。
大嘗祭前から大嘗祭以後の祭儀・式次第
御禊の儀・大祓の儀・鎮魂祭
大嘗祭の2日前
どちらも心身を清浄にするための儀式で、大祓は皇族方の祓も行います。
これらは大嘗祭の2日前に行われており、一世一代の大嘗祭のためには欠かせない儀式です。
大嘗祭の前日
大嘗祭の前日の夕方には掌典職によって執り行われます。
これは天皇の魂を強化することを目的として行われるもので、皇室祭祀について定めた登極令にも定められる重要なものです。
大嘗祭当日
当日の朝から悠紀院、主基院の装飾を行います。
暮色濃くなってきた頃、掌典長は束帯に小忌衣を加え、冠には日蔭蔓をつけて悠紀殿、主基殿に進み御神座を奉安します。
悠紀殿の膳屋から稲舂歌という稲を搗く際にうたわれる歌と共に祭儀は始まり3名の采女が稲舂の儀を行います。その後掌典職が悠紀院の庭積帳殿に参入し、神饌を供えてから掌典長が悠紀殿内で祝詞を奏上します。
その後は明かりを持った侍従2名が天皇陛下、続いて皇后陛下を先導し悠紀殿にいらっしゃり皇族方は幄舎につかれます。次に第15代応神天皇の御代から続く風俗歌を歌い舞を踊ります。
これらが終わると、掌典長の「オーシー」という掛け声と共に入り、これに蝦の鰭槽という天皇陛下が手を清める道具と甕という水を差す道具を持った掌典2名が続き、さらに天皇陛下の介助を行う采女8名が続き、最後にさまざまな神饌を持った掌典が入ります。
天皇陛下は神饌が準備されてから、手水を済ませてから神饌を自ら神前に供え、その後御告文を奏上なさって、米や酒を召し上がります。
このような儀式を日付を回ったころから主基殿にて同様に行い、天皇陛下が役目を終えるのは深夜のことです。
大饗
古来から大嘗祭の後には宴が必ず行われており、かつては翌日から悠紀節会・主基節会・豊明節会が3日間に続けて行われていました。
憲政下では2日間の大饗の儀を行うこととされ、平成の大嘗祭では2日間に3回の宴がひらかれました。
この宴には悠紀地方・主基地方の風俗歌や五節舞が披露され、内閣総理大臣が祝辞を述べることになっています。
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