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【元号とは】年号との違いや東アジアでは日本だけに現存する元号の意味・歴史についてわかりやすく解説

私たちは年月日を記すときには20○○年という西暦を用いる場合と令和○○年という和暦を用いる場合があります。和暦とは元号(年号)に年数を合わせて表記する方法の事であり、公的な文書では一般的にこちらを用います。

今回は元号と年号の違いを説明したうえで、これらの歴史について紹介していきます。

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元号と年号の違いは天皇の御代初めか否かだが、明治以降は同じ意味として用いられる

私たちは昭和や平成、令和を年号と言ったり、元号と言ったりしますが、どちらが正しいのでしょうか。まずは元号と年号の意味について記します。

元号:ある時点から起算して年数を計算するための特定の称号

年号:年につける称号

以上が辞書からの意味の引用です。これだけを見ると両者に違いはないように見えますし、実際辞書には年号と元号を同義の言葉として扱っているものもあります。

しかし、漢字の意味を厳密に解釈してみると、元とは「始め」を意味していることから天皇の御代初めから用いられる称号を指すと解釈できます。したがって、新天皇の即位に際してつけられたものを元号と言い、天皇の御在位中に途中から用いられるようになったのは年号であって元号ではないということです。

 

年号の初見は古代中国の「建元」。日本の初見は「大化」とされており、「大宝」から現在まで継続的に使用される

漢字の名称を冠した年号は古代中国において紀元前2世紀後半ごろに用いられた「建元」が初見です。ただし、これは5番目の年号にあたる「元鼎」に前漢の武帝が即位した翌年を遡って建元元年と定めてたものです。

日本における年号の初見は「大化」と言われており、これは中大兄皇子らによる乙巳の変(645年)の後の第36代孝徳天皇即位の年に新しい政治を行うに際して用いられたものです。年号が用いられるようになるまでは「垂仁天皇26年丁巳」のように天皇の即位年に十干十二支を用いていました。

しかし、「大化」の年号が孝徳天皇の御代に実際に用いられていたかどうかには議論があります。大化の後の年号は白雉はくち(六五〇‐六五四)、朱鳥あかみとり(686)と続きますが、以降はしばらく年号が用いられた痕跡がありません。そこで「大化」は後世の人が孝徳天皇の時代を美化するためにつけたものではないかとする説が主張され、これを日本における年号の初見としていいのかは不明です。ただし、崇峻天皇4(591)年を元年とする「法興」という年号が公のものではないにしても私的に一部で用いられていたことを考慮すると、孝徳天皇の御代に「大化」という年号が存在したということは想定しうるのではないかと考えられます。

大化・白雉・朱鳥の後は前述のようにしばらく年号が用いられることはなく、次に定められたのは「大宝」です。大宝は大宝律令施行の701年を元年としており、大宝令にも公文書では年号を用いることを明記しているなど実在性が確実であるため、これが日本における年号の初見ではないかとの意見もあります。大宝以降は年号は現在に至るまで継続的に用いられています。

 

東アジアにおいては唯一日本でのみ年号が現存しており、中華人民共和国では西暦が公元と称して用いられている

中国では日本よりも数百年早く年号が用いられており、朝鮮半島の新羅など年号を用いている国は多くありました。しかし、東アジアにおいて時代が進むにつれて年号は用いられなくなっていき、現存の唯一の例が日本です。

中国では清朝が滅亡し、中華民国が誕生した際に建国を元年とする年号が用いられていましたが、1949年の中華人民共和国の成立により中国での年号の使用には終止符が打たれました。これは中華人民共和国が共産主義体制の国家であったことが理由として挙げられます。共産主義では西暦を用いることが通常であり、現在の中国は西暦を「公元」と称して用いられいます。


今回は元号及び年号について紹介してきましたが、改元の種類や戦前戦後の年号制定手続き等についてはこちらのページで紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

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