豆知識

【神道の死生観】死後の世界は黄泉国か、人は神になるのか。吉川惟足や本居宣長、平田篤胤の主張

日本において葬儀というと仏教の専売特許のように感じられるかもしれませんが、近年は神道式の葬儀である神葬祭が増加傾向にあります。神道は長い歴史の中で死という事象に関する説明が淡白であり、我々に宿る魂は死後どのような結末を迎えるのかということはあまり語られてきませんでしたが、中世以降様々な神道説が大成されたことにより死生観に関する主張がなされるようになりました。

今回はそれぞれの神道説が死をどのように解釈したかを紹介していきます。

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吉川神道を大成した吉川惟足は死後の魂は日之少宮に帰ると主張する

死に対して淡白だった神道において最初に死後観について説明したのは吉川神道を大成した吉川惟足です。

まずは吉川惟足の主張の根拠となる日本書紀の一文を紹介します。

『日本書紀』

伊弉諾尊、神功かむこと既にへ給ひて、霊運び當に遷らんとす、是を以ちて幽宮かくれのみやを淡路の洲につくり、寂然しづかに長く隠れましきといへり。

亦曰はく、伊弉諾尊功既に至りぬ、いきをいまた大ひなり、是に天に登りまして報り命かへりことまうし給ふ、仍て日之少宮に留まりみましぬ。

この部分は「イザナギ命は神功を終え、淡路島に幽宮を構えてお隠れになった。また神として成すべきことを終え、徳が優れていたので、天に昇って報告をして日之少宮に留まった」ということを示す部分です。

イザナギ命は国生み・神生みを終えられて淡路島の日之少宮に鎮まったとされており、私たちも死後は日之少宮に行くと主張されています。

また、イザナギ命は天上世界からの神勅を受けて国土を生成され、そこに住まう私たちの君臣・父子・兄弟・朋友の理を正すなどの偉業を達成された結果、日之少宮にお鎮まりになったという部分から天命を尽くして死ぬ者は天上世界である日之少宮に帰るが、そうでない者は天に帰れず妖怪となって天地の間を彷徨い苦しむと解釈しました。

さらに、心を祭ればこの世に来格して祭りをうけて天地の造化を助けると述べています。

ポイント

天命を尽くして終わる者は日之少宮に帰るが、天命を尽くすことのできない人間は天に帰れず、邪気妖怪となって天地の間をを放浪し苦しむ

死後の霊魂は天地の徳や日月の光のように天地の造化を助ける

本居宣長は死後の世界は黄泉国であるが、この世に残る霊魂もあると主張する

続いて、江戸時代の国学者で古典を通して日本独自の神祇信仰について研究した本居宣長の死後観を紹介します。

『答問録』

ただ、死ぬればよみの国へ行物とのみ思ひてかなしむより外はなく...

本居宣長は人は善人悪人を問わす死ねばすべての人が黄泉国に行くとする死後観を説きました。黄泉国とはイザナミ命が火之迦具土神を生んだ後に行った穢れた世界であり、死ぬことより恐ろしいことはないと考えました。

ここで現世と死後の世界である黄泉国との間に直接的な関係があるのかが疑問となりますが、これについては魂が黄泉国に行くとしてもこの世に残る霊魂もあると説きます。霊魂はそのくらいや力の強弱によってこの世に留まる時間が異なり、優れた功績を残した者の霊魂は長く残ると考えており黄泉の国に行くべき霊魂がこの世に留まることは神の働きとほとんど同格であるとして死後の世界からも現世に対して影響をもたらすと考えたようです。

この本居宣長の思想は霊魂分在説とも言われており、これは松明の火に例えて「松明の火を遷すが如く、もとの火はこの世に留まり、祀ったり祟るときには来格する」と説明されます。

ポイント

死後の霊魂は黄泉国に行くが、一部は現世に留まり禍福を為す。

偉大な功績を残した人の霊魂は永久に現世に残り、一般の人の霊魂もそれなりに残る。

祭祀を通して霊魂と交流することができる

平田篤胤は本居宣長の死生観を否定して死後の魂は冥幽界にいくと主張する

本居宣長を師として仰いだことで有名な平田篤胤は死生観について初めは本居宣長の説を支持していましたが、最終的に本居宣長とは異なる立場をとっています。

平田篤胤は死後の世界を冥幽界といい、これは現世と密接な関係にある世界であると説いています。死後の魂はこの国土に留まっており、現世の裏側の世界ともいえる冥幽界で生活しているということで、霊魂の世界から現世を見聞きでき、現世の人が祀れば霊魂の世界から来格するとしています。

平田篤胤はこれを『霊の真柱』において「燈火を半分黒塗りしたのと同じ」と説明します。これはどのような例えかと言いますと、部屋の中心に半分が黒く塗られている燈火(行燈)があると想像してみてください。すると黒塗りされた側の部屋は暗く、一方で塗られていない側は明るくなります。一つの部屋で明るいところと暗いところが同時に存在することになり、これが現世と冥幽界の関係に近いと例えているのです。

さらに、この世は仮の世であって幽冥界こそが永遠の世であり、冥幽界に行った霊魂は日本を守護し、子孫を護ると考えました。

 

ポイント

死後の霊魂は冥幽界という現世と密接な関係にあるところへ行く。

冥幽界からは現世を見聞きできるが、現世からは冥幽界を見聞きすることはできない。

現世からは祭りを通して冥幽界の霊魂と交流できる。


以上が各神道説における死後観についての説明です。神道では神祇と祖霊を共同で祀ることを祭祀の中核としており、死を否定的な価値観として捉えることはあまりありません。

現代においては神道の立場もこれまでと大きく異なり、神道としての死へのアプローチは今後さらに多元化していくでしょう。不安定な世の中では死を如何に解釈し説明するかが大きな課題となってくるでしょう。

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